「冷たい彼女」及び「慶子という銀座クラブのママ」

 

    冷たい彼女

 

 休み明けの仕事も半日もすれば勘を取り戻す。さて今日の昼食はどうしようか・・と取り敢えず店を出、通りを歩きながら腹が何を要求しているのかと視覚にも頼りながら店を探す。
 田辺道雄は銀座通りにあるデパートに勤めている。
 昼休みは交代制で、混んでいるピークの時間帯を外す事も出来るから、その点くらいが長所だと思う。あまり時間が掛かる様なものは食べられないが、立ち食い蕎麦や牛丼の様にカウンターで並んで食べるのも好きでは無い。
 時には、コンビニで買って近くの公園のベンチで食べる事もある。一人が寂しく思う事もあるが、気楽でもある。公園までは片道十分は掛かるから、寛げる時間は正味四十分も無い。
 デパートの中には幾つかの社員食堂もあるから、そこで食事を済ませる者もいるが、女性など気分転換を兼ね近くのカフェやレストランなどに行く者達もいる。
 何故か、複数でという光景を見た事はあまり無い。営業中に表に出る際には、必ず社員通用口を通り抜けていくのが決まりだが、女性達の場合には警備員が透明な袋の中を確認し、商品の持ち出しが無いかなどをチェックするから面倒には違い無い。
 其れでも表に出るからには、一人の自由を味わいたいという気持ちを求めるのかも知れない。店内の食堂や休憩所は騒音の渦であるし、毎日同じ顔を見ながら食事をするのも詰まらないだろう・・売り場のフロアーでは礼儀正しい彼女達も・・喫煙所の灰皿には・・口紅が付いた吸い殻だらけ。
 だから、外出するメンバーはたいてい同じだが、お互い顔を会わせたくないから別の店に行く事が多い。
 今では考えられない事なのかも知れないが・・老舗のデパートでは信用が何より大事・・現代はペーパーに過ぎない個人情報に執着し過ぎるが、それも世の中の治安が悪化している現れなのだろう。古き良き時代にはこんな事も。
 社員の採用時には・・面接や筆記試験卒業証明書等の提出だけではなく・・必ず、その者の実家・・例え北海道だろうと沖縄だろうと構わず・・人事の担当者が周辺の家々を回り、本人がどういう人物なのかを調査する。
 また・・こんなケースも・・上流階級の奥方達が、行きつけのデパートで躾(しつけ)が行き届き・・美面(びおも)の女子店員と交流するうちに・・本人や店員の上司に持ち掛ける事も・・「・・失礼ですがあの方・・?」・・息子の嫁に迎えたいのだがとの要望・・。
 三越百貨店では・・上流階級を含めお歳暮やお中元などの際に大量発注をする大口のお得意様担当部署は、外商部と呼ばれ、日本橋本店と少し離れた日本ビル内にあった。筆者も家族連れでこのビル内にある駐車場をよく利用したが・・三越利用時には便利だった。
 

 

 

 公園に向かう途中小雨が・・行き先を替え近くのカフェに入る。頭の中には特に変わった事など浮かばない。家に帰ってからの時間が暇だから、楽器を購入したのだが、同じ曲ばかり弾いていても詰まらないからと考えていた。
 少し離れたテーブルに腰を掛けている女性は同じ店の制服を着ているが、見た事は無い。偶に転勤という事があるから、其れとも中途入社なのか、でも、デパートに中途は先ずない。此の女性も人目を避けて来ているのだろうから、なるべく無視をする様にと心掛けていたのだが・・。
 

 

 次の日も来ている。というよりも道雄が二日続けて来たからだろう、二日続けて天気が悪いからと、それなら別の店にすれば良かったのだが・・。
 澄ましたようで・・冷たそうなところは一人で来る女性には共通している。それ、見慣れた光景ではあるのだが・・。
 逆に言えば自分の部署にはいないタイプとも言える。だからといって声をかけてみるなどと言うことは考えないし、失礼・・いや、迷惑だろうと思う。
 だが・・其れから、ほぼ毎日のように同じ店に行くようになった。女性は自分の事など眼中にないから、気にする素振りも見せない。単に、偶に見かける・・くらいにしか思っていないのかも知れない。
 只、十五分くらいの休憩時間の差があることには気がついた。女性の方が早く来て早く帰る。

 

 

 二週間もした頃、その日は同じ売り場の店員が休みだったから、少し早めに休憩に出た。売り場はワンフロアー全体を道雄が見ているが、叶明子、当然ながら・・以前から旧知の女性が休みで・・。
 早めに店に行けばあの女性も来ている筈だ。どうやら、池袋店が一部改装をする為、部分的に閉鎖されているからこちらの店に来ている店員が数十名おり、その中の一人が彼女らしいという話を聞いた。
 冷たいように見えるという事は、見ようによっては近づきがたい美人とも言えるような気もする。勿論、店のメニューが気に入らないのでは用は足せないのだが、それは他店と比較しても劣らないと味覚が承知している。
 何時も二種類の同じものを交互にオーダーしているが、その日は彼女がオーダーしているものと同じものを注文。店員が運んでいく時に見ていたから、何が好みかはだいたい分かっている・・ああ、三種類に・・。
 此れでメニューは一つ増えた事になる。昼食だから酒も飲まないし摘みはいらないから、だいたいが同じようなものを頼むことになる・・など思いながら、では、酒でもあれば・・つまりは、彼女と一緒に酒でも飲みながら・・と思い描いてみた。
 冷たい彼女と共に飲む酒の味はどうだろう・・など、思わず「・・満更でもないか・・」と呟く。それは今日の料理の味について・・ではない・・其の想像がものを言わせる・・。
 食べ終わりスマフォを見たりしてから、彼女は席を立ちレジに向かう。支払っている姿を見、此れが一緒なら自分が払うんだと思ったりもする。フランスの女性は勝手に男性に御馳走になることを好まない場合が少なくはない。
 この国では堂々と男性に払わせるのが常識のようになっているが・・と、詰まらないことを考えたのも、ますます、想像が勝手に歩き始めたようだ。ふと我に返ると今日は早番だった事に気づき、女性に続いてレジで支払いを済ませ慌てて自動ドアの絨毯を踏み表に・・。
 結果的に、彼女の後ろ姿が社員専用口に近づく手前で並んでいた。
 口をついて何かが出ようとした。
 振り返った目と目があった。
 目は冷たさの中で唯一微笑んでいる。
 此れで声を掛けやすくなった・・と思うと同時に、「ああ、休憩お済みですか・・」と。
 彼女、「・・何時も一緒ですね・・」とは?「・・見ていたんだ、いや、見ていてくれたんだ・・」と、何か突然灯(あか)りが灯(とも)ったように・・ぽつんと胸が返事をした。
 

 

 其処からは、Smoothに?事が運んだ。
 その週の休日前には、夕食を一緒にという話を・・。
 エレーベーターが開くと、二階婦人服売り場の向井静香は、薄暗い照明に照らし出されたFloorを迷わずに窓際の席に歩いて来る。帝国ホテル17階のレインボウーラウンジは広いから、初めての客は視線を彼方此方揺らしながら目指す相手を探し出し、場の雰囲気に戸惑い気味に・・で無いのは以前来た事でもあるのか、其れとも・・。
 道雄が静香を誘ったのは・・よくある一般的な女性に対する関心だけでは無かった。
 以前飲みに行っていた女性で最も至近では叶明子だが、彼女も似ている様なところと何処か違うところがあった。其れは違う女性だから当たり前・・といえば其れきりだが、道雄が静香に関して何か特別なものを感じているのと同様、明子にも似たものを感じるのだ。
 逆に二人を単純に比較すると、言ってみれば育ち或いは育った環境とでもいったらよいか・・其れが異なる。
 明子とは疎遠になった訳でも特別な関係になった訳でも無かった。そんな付き合いが無理も無く極自然である気がしたし、その後も二人の間には痴情の縺れなどは無論・・親しみを感じ・・という間柄が築かれている。
 そういう点では、静香と夕食をとって語り合う事も少しも不自然では無い。
 静香がエレベーターから真っ直ぐに、まるで絨毯に運動会の50メートル競走の白線でも書かれている様に迷わず・・そして、今テーブル越しに対面し座っている。其れは、明子も全く同じだった。
 共通点と言え・・偶然、そんな事もあるだろう、だが・・。
 仕事の話はさっさと済ませ・・謂わば前菜に過ぎない。
 静香は婦人服売り場の経験は池袋店からだからベテランの部類。職場が変わっても覚えが早いというか、物事を先に先に読むような事があるようだ。だから、客の好みのものや似合っているものを見つけたりしては売り上げに貢献している様だ。 
 其れは、明子も似ている。
 では、違いは何か。
 仕事に限らず恋愛に関しても解釈が何か異なっている様な気がする。ちょっと見が冷たく見えるかそうで無いかの違いもある。
 静香は全面窓ガラスの外の街の灯りや夜空を懐かしそうに見ている。
 道雄が、「・・最近、何時も同じ店に行くようになったのも、何か君に惹かれる様に、ああ、勿論店の味もいいんだが・・」と、「・・そう言って貰えると嬉しい様な、案外、集団の中で一人きりってあるのね。でも美味しいわねあのお店」
 道雄は思い切って、「君って、何か人を寄せ付けないような、言い方は悪いけれど、冷たさというかそんなものを漂わせている様に窺えるんだ。其れが、逆に魅力でもあるのかも知れないけれど。ちょっと言い過ぎかな・・気に障ったら御免」と、「・・うん、自分では分からないけれど、池袋店の時も何時も一人だったから、仕事上は勿論、皆と協力しあい、連れて成績も上げ・・、ああ、ちょっと余計な事ね・・」。
 道雄は静香の仕事ぶりが、何故か高速コンピューター並みであるかのような気がしたから、単なる自慢では無いだろうと思ったが、どうしてそう思ったのかは自分でも分からなかった。
 彼女が、外の灯りに見とれている様(さま)は単に街の美しさに気をひかれているのか、其れとも何か思い出しているのか、元付き合っていた彼氏の事でもなど・・と邪推まで、が、どうもそんな事では無い様な気もする。
 二人は静かに話し合い、飲食を味わい、時に互いの事に触れたりし、楽しい時を過ごす事が出来た。
 帰り道、有楽町駅まではすぐ・・並んで歩き、改札の前で立ち止まり、笑顔を交わしてから、互いのホームに別れて行った。
 
 

 

 店で、明子に其の話をした。明子は黙って聞いていたが、「・・そう、彼女と・・話が弾んだの・・。私ともそうだし、貴方・・」
 

 


 道雄は此の期末で職場を離れるつもりだ。静香にも明子にも既に其の話はしてある。

 


 期末が近付いて来る。二人との恋愛は・・と自分でも考えた。違った形での恋愛は成立するだろうから・・と思う。

 

 

 どちらとどうとかは・・。取り敢えずは三人同時に転勤になる。

 

 

 道雄は静香に話を。
「後釜は決まっているから、人に迷惑は掛からないね。君も・・?」
「・・ええ、大丈夫。明子さん?大丈夫よね・・」

 

 

 明子と静香、其れに道雄も転勤になった。夜空が澄み切っていて・・星が数多(あまた)と煌(きら)めいている。よく見れば・・其々の星が少しずつ違う色だという事など・・分かるかも知れない。其れに、色だけ・・というのでも無く・・。

 

 


 明子が先に店を出た。
 其れから、店から明子にそっくりな店員が出て来たが・・まるで見分けがつかない。
 何処か暖かそうな雰囲気も何もかも瓜二つだ。
 明子は空間に消え入る様に・・見えなくなって行く。
 すっかり空間に同化したようで・・既に姿は見えない。彼女の声、「途中まで一緒かな・・其れとも・・用語でいう「恋愛」はまだ此れからも続くわ・・静香さん・・もうすっかり準備が出来たようよ・・」。

 

 


 続くように、静香も・・。「・・後釜は・・大丈夫?」
「・・勿論。それにしても・・君が冷たく見えたのも・・。あの星では、皆、それが自然だからね。其処が明子さんとの環境の違い・・彼女・・大昔は・・此の星では「・・恐ろしくも美しい魔女・・」と言われていたようだから・・」

 

 


 三人が歪める空間の行き先は同じ方角・・。途中でどうなのか・・など、その場その場の技術や絶対スポットからの誘導により・・No problem・・「愛」とは・・何処でも同じく・・不変・・。
 尤も、此の惑星とは・・少し・・解釈が異なる・・。 

 

 

 三人のモデルが・・遥か下に窺えるのもこれまで・・空間が歪む度に皆の移動は・・一層速くなる・・。
 少し離れたポストにいた道雄が二人に・・「・・え~・・惑星の言語では・・愛している・・恒久にね・・もう転勤も無いし・・」
 静香が氷の様な微笑みを見せ頷いた。
 すると・・すぐさま・・体感温度は静香の故郷の常温に変わり、辺りはこの世のものとは思えぬ魔女のお出ましに・・星々も震えているように・・輝き始めた・・。

 

 


 宇宙空間では・・全く環境の異なる故郷が存在する・・誰ぞがそれを思い出したりすれば・・恐ろしい事になるやも・・。
 
 

 夜は零下170度の美しさを見せる月は・・青い惑星の周りを・・ゆっくりゆっくり・・動き始めていた・・。

 

 

 

 

 

 

   慶子という銀座クラブのママ

 

 

 

 銀座のクラブのオーナー兼ママは慶子。
 通常ならスポンサーでもついていそうだが、そのようなものはいない。
 それどころか、知り合った著名人などとのconnectionも無い。
 只、彼女は自分の事を客がどんなふうに思い、何が面白くてこの店を訪れるのかを分析している。
 更に、彼女の履歴や前歴を知っている者もいないだろう。
 其れも納得できる。
 彼女の故郷は遠過ぎるところにある。
 モデルとにしたのはある女性、シンボルは和服姿の美女。人によって好みはあるだろうし、どのモデルが一般的な評価がどうなのかなど考えずに、偶々通り掛かった看板を見て決めた。
 故郷の近くには故郷と同じ様なモノが数多と存在するが、今のところ、他の文明ではその様な事を行っていない。派遣の身である慶子の報告を知ったとすれば、どう考えたところで、他が同様の派遣を考えるという事はないだろう。
 銀座でクラブを経営しているのは、慶子だけ。
 既に、世には、いろいろな職についているモノの存在が。目立たず其れでいて会社員など実に様々な業種の職種に及んでいる。
 それらは派遣とはいっても、慶子同様・・見分けは付かない。
 慶子達の親のようなRealの存在。NASAがこの事を知ったら大喜びをするかどうか・・近似する生命体ばかり探しているようだ。
 此処に来た時に、故郷を此処と比較する事は無かった。何もかも全く異なるから。
 modelの選択の意図は様々・・慶子のような多くの人々を観察できるからという場合も。
 今日も、店は満席の盛況ぶりを見せている。
 お客は殆ど此処の人が多いから、観察するには好都合だ。偶には、派遣も訪れるが、此処・・との見分けは付かない。
 派遣は・・とは異なった事が出来るというだけで、あくまでも脇役として、此処の・・がどんな価値観や思考形態なのかを見て取るだけだ。
 昔から言われる言葉に「この世には自分にそっくりな人が3人いる」とか「病としてのドッペルゲンガー」などもあるが、全く同じ・・が仮に二人以上いるとすれば・・慶子達を見たのかも知れない・・。
 

 

 慶子の店が繁盛していくのは、一つにはホステスの加勢もあったが、慶子が美しいという事もあったようだ。
 美しさに加え、他の銀座のママに共通の威厳のようなものは微塵も感じさせず、何方かと言えば親しみやすい、というキャラクターが受けたのかも知れない。
 本来、この地でママをやっていくには、男以上の根性や度胸にconnectionが不可欠であろう。其れを覆(くつがえ)す様な女将(おかみ)の出現に世の男性方は、底知れず慶子の虜になっていった。
 先ずは此の小さな島国を観察し、成り行き次第で世界に目を向けるという事。その点では慶子は大いに役目を果たしている事になる。
 いきなりの人気ママのクラブの登場に、他店からの反発もあった。其れが却って噂が噂を呼ぶ事に繋がった。其れに、其の反発にせよ、慶子の店を排除するにはそれなりの事をしなければならない・・それに、そのような感情の動物である・・は進化論で示される様に・・僅かに進化したものの・・他の動物の本能を持ち合わせている事が、何より、原始的な生命体である事の証であり・・彼女らの様な生命とはそもそも誕生の仕組みからして全く異なる・・尤も、どちらの言語も・・だけで使用され通用しているに過ぎないが・・。
 殆どの宇宙空間に存在するモノには・・言語とか数字など一切が無く、imageと・・で称されるモノに多少は似ているが・・頭脳間を結ぶ手段に過ぎず・・映像などでは無き・・表現・意思・判断・伝達・等・・。
 0101が幅を利かす・・の現代社会だが・・それを如何に駆使しようとも・・恒星の衰退の時期までに・・が太陽系から移住する事は不可能と言えるだろう・・インターバルが相対的なものとすれば・・束の間の誕生から消滅なのかも知れない・・。
 話が逸れたので戻そう。
 ところが、圧力をかける目的で差し向けられた男性客達まで逆に、この店の雰囲気に酔いしれてしまい、何度か、謀(はかりごと)をめぐらし彼是(あれこれ)仕掛けるつもりが逆に虜(よりこ)になってしまう。
 其れは、気が付かれないが、文明間の頭脳のレベル差がはっきり出てしまった事に繋がるのやも・・。
 店には当然ながら他にホステスが何人もいる。ホステスが同席し飲食をしながら話に花を咲かすのには、その人数によって相場が幾ら、ママとなると相場が一気に上がるというのが銀座の常か。
 更に、店にはキャッシャーと呼ばれる経理の女性や、クロークと呼ばれるお客様の上着や荷物を預かっている裏方の男性や女性、ポーターと呼ばれる車の配車などを担当している男性がいて、この地で認められる男性客は此の者達にも好感を持たれなければならない。
 此処では、全て、派遣が其のポジションを受け持っている。男性なら二枚目でモデルは国際級だが、男性客にはそう思わせないで、男性の連れの女性客には人気がある。
 かたや、ホステスは銘々、モデルは業界=芸能界~並みの容貌と其々が違う持ち味の風情を持っているし、頭脳の違いからくる回転の良さに加え、客のデータに基づき喜ばせる。
 ところで、高級クラブでのルールのようなものがある。其れはもてなす方にも客にもあるが、客は兎も角、素晴らしい頭脳を持っているから、それらは承知。其れでもそんな事も様変わりしつつあるにしても、そういう事にも敏感に対応が出来る。
 其れだけではない。今晩は、銀行役員の安形が接待客を伴って来店している。安形から出た話は松本清張の小説「黒革の手帳」に登場する原口元子。
「・・元銀行員の彼女は架空名義の口座から横領した金でクラブのママに。しかし、よく出来た話で流石に清張の作品だと言えるね・・」
 元子は、元銀行員で預金者のリストを黒革の手帳に記していた。ところが、彼女達の頭脳はあらゆるデータを即時に処理し、また、派遣を一流の客の勤務先などにも侵入させているから、手帳など比較にもならない程のデータを所持している。だが、元子のような金銭が目的ではない。
 それらが全て共通の観察結果として管理される。其れは、銀行を一例にとっただけでも、全国各所に配置された派遣が、雑多な観察結果を整理した後・・他の故郷には必要とされないものが殆どなので、・・でいう記憶から消去される。
 ・・世界の情報量も・・知的レベルも、彼女らにはおそらくは・・結論とし、必要はないだろう・・。
 ただ、ホステスと食事に同伴となれば、彼女らにとっては、観察には格好の機会だといえる事になる。
 ・・世界全体では、かなり様々な観察が行われていたが・・?
 慶子はといえば、内閣大臣、また或る日は金融機関頭取・業界の大物その他片端から誘われては、それらを器用に捌(さば)いていた。
 仮称・送信先には、定期的に観察の状況や進捗状況を報告し、送信先は遥か彼方のRealに再送信していた。
 此の国をも観察の結果、ほぼ何も関心毎は見当たらなかった。
 只、余りにもレベルの違いがあり過ぎると意識するのも問題視され、周囲との調和も大切にとの助言も。
 

 

 

 ところが、送信先からの助言とは違った考えが慶子の頭脳に目覚め始めた。あまりにも、此処の人達の全てを見過ぎてしまった彼女にとって、此処なら不自由ない身分ではあるのだが・・。
 郷里は、宇宙空間に数多と存在する比べ物にならない程の高度な文明のたった一つに過ぎず・・。其れでも慶子は戸惑いを感じた。
 何処の文明でも、気の遠くなるほどの距離を隔て・・とは・・での意識であり・・相対的な時間とは全く異なり・・あくまでも此処に限りの事・・なのだが、気まぐれな巡回を試みる事はおうおうにして有る事。
 広大な宇宙空間では、それも決しておかしな事とは言えないが、それにしても・・何も得るものが無い・・此処。
 特に奇妙というものなど・・勿論お目にもかかれず、寧ろ、遥かに異なる・・を観察する気紛れな関心は・・また別にあったのだが・・結果は火を見るまでも無く明らかのようだ・・。

 

 


 そんな慶子だったのだが・・思い掛けなく・・此処にも故郷では既に置き忘れた存在の美しさがある事に気が付いた。
 其れは、店に出勤する前の事。
 何時も通る駅までの道で、今までは気が付かなかったのだが、池の畔で絵を描いている男性の姿を見た時だった。
 先ず、頭脳が強烈に反応したのは、描きかけの絵画のタッチが素晴らしい事。勿論、半分以上出来上がっているイーゼルの絵を見た時に、自分には無い何かが其処にあると感じた。
 仮に、同じ絵をすぐに作成するとすれば訳も無い。しかし、其れはひょっとしたら、いや、そうでは無く明らかにレプリカに過ぎない。
 全く同じものを創る事は出来る。でも、創る事は出来ても描く事ではないのでは・・。
 つまりは男性の頭脳を分析する事は容易だが、分析したところで、同じものは描けないと・・。
 其れに気付き始めてから幾らも時間が掛からなかったのは、皮肉な事に、優れた頭脳だったからに他ならないのだが。
 論理は素晴らしいSpeedで、思考を結論に導く。其れでは、男性の描いている絵に関し、彼の頭脳の中を漁(あさ)ってみたとしても、徒(いたずら)に時間が掛かるばかりで、結論には至らない。
 そんな馬鹿な事は無いのだと思ったのだが、残念ながら、逆に自らの頭脳から質問が・・。
「其れは、その男性の頭脳の中には存在しない・・いや、厳密には存在するのだが、彼のタッチや今後何処をどう描いていくか迄は、透視である程度は分かったとしても、予測の範囲外で、其れはどうするのか正直に彼に尋ねるしかない・・」
 慶子は、イーゼルを見ながら脚を止める。
 彼に質問をしてみようかと思った。
「・・あなたは、此れから、何処をどう描いていき、結論はどうするつもりなのか・・?」
 彼は、只管、絵を描く事に集中している。
 宇宙の高度な文明には「言語」や「数字」等・・社会と同様のモノは一切存在しない。従い、原始的な生命体の頭脳宛に「直接のイメージ」を浮かばせることで理解は可能になるのだが・・それにもかかわらず反応は無い。
 仕方がないから、折角夢中になっているのに申し訳ないとは思いながらも声を掛けていた。
「・・済みません・・お邪魔し申し訳ないのですが・・結論は・・?教えて貰えますか?」
 彼は、視線を慶子に移すと一言。
「Indécis.」
 慶子は驚きを隠せない。・・が宇宙空間を自在に移動する・・等ならその言葉どころでない失望が・・窺える・・にせよ・・?・・未定・・とは?」
 頭脳の受けた衝撃は、次第に・・「褒める」という言葉に代わりつつある・・。
「・・此の惑星にも・・こんな・・素晴らしい事があったのだろうか・・計算不可能な事なんて・・」 
 

 

 

 店に出てから、其の事ばかりが頭に浮かんでは消えない・・。
 頭脳は正常に作動しているから、一度にあらゆる考え事をしようが何をしようが、万事、支障もないまま・・。
 そんな、慶子を見て、ホステスが心配そうに声を掛けた。
「・・一体・・何を見たのですか・・此の惑星に・・何か珍しい事でも・・?」
 店を出る前に此処の総理大臣から、是非一緒に・・と誘われた。私を誘うっていう事の意味を自覚しているのだろうか・・?など、一瞬頭に浮かんだが・・社会の常識を優先した。
 一緒に食事をしている時。
「此の人・類とあの人・類・・全く・・どこかが違う・・?」
 この人は、所謂、status symbol=地位の象徴~物質欲が旺盛に・・地位も、名誉も、お金もある。だから、私を誘ったのだろう・・。
「君・・今晩?」
 慶子は、只管(ひたすら)・・簡単な返答を選択するだけ・・。
「明日、どうしてもやらなければならない用事があるので・・今晩は・・早く帰らないと・・御免なさい・・」
 
 
 
 

 
 翌日、先日と同じ池の畔でイーゼルを見掛ける。
 作晩、頭脳は稼働をし続けた。
 結果、彼に声を掛けていた。
「・・あの・・若し宜しかったら・・一緒にカフェにでも行きませんか?」
 彼は声の主を振り返る。
「・・ああ、あの時の・・貴女、カフェ?・・いいですよ。どうせ、急いだってどうなるものでもないし・・」
 彼は付け足した様に。
「・・貴女のような美しい女性・・が、一体、私に何の用があるんですか・・?」
 美しい・・今まで数えきれないほど、その言葉を聞いて来た。
 全て、色褪せたような単なる誉め言葉であり、また、中には、自分をモノにしたいという欲望の一つの表現・・でもある事は分かっていた。
 ・・其の意味の「美しい」は・・郷里のデータの何処を探しまくっても・・見つける事は出来無く・・無意味に過ぎない。
 大した事も無い筈なのだが・・郷里のデータはかなりの速度で反応しながら・・止まった。
 此処の言語に自動変換するのは当然・・。
「・・vanitas.・・vanitas.・・」同じ繰り返し。ラテン語・・意味不明。 

 

 

 

 二人はカフェで、声にならない話が半分、声になっている話が半分。
 其れでも、其の足りない部分の補足を、敢えて彼に求めようとまではしない。
 彼の目は、素朴で・・恐れを知らないような・・強さをたたえている。
 慶子は、初めて・・且つて経験した事のない想いが頭脳に沁み渡っていくような気がした。

 

 

 


 二人は、其れから暫くした或る日。
 彼は自ら岡野康介と名乗ったが、すっかり絵を描き終えていたから、共に横浜の港を見に・・。
「綺麗だな・・海と空。そして・・君・・」
 慶子はそれ・・良く使われる言葉・・同じ言葉でも・・こんなにも違って聞こえる事があるんだと思う。
 二人は、其れから、暫く、暇をみては会うようになったのだが・・。

 

 

 


 慶子はそろそろ故郷に帰らなければならない。
 記録は逐一、レベル差の生々しさを現す意味で、それぞれの郷里のイメージに代えられ・・送信先に送られる。
 ・・送信中。
「・・その青い惑星に長く滞在する事は無意味。聊かの解釈すら要しない・・更に・・恒星その他にしても・・消滅するまでの相対的な時間には限りがある・・Totalis vastum=A total waste・・。・・只(ただ)・・」
 送信先から返信が・・。
「・・全くの無駄・・意味がなければ、確かに・・分かった、Realにそのままimageを。・・で・・其の最期の・・「只」・・とは・・何?」
 送信先は、慶子に優しく問いかけた・・。
 束(つか)の間の如(ごと)き派遣と雖(いえど)も、結論は十二分に出たよう・・やはり、文明との価値観の相違につき別の評価を下した事になる。
 慶子は・・只・・の後を示すのに・・頭脳が空回りしている事に気付いている・・。
 やっと、imageを見せる事で・・幾らかでも理解して貰え、説明できるのではと思った。

 

 

 

 送信先から返信。
 送信先の頭脳も、当然ながら・・優れているから・・イメージから・・言葉に出来ない・・事を・・汲み取れたようだ。
「Realの判断だが・・珍しくそこと同じ文面で・・しかし・・Realにも・・遥か・・そちらでいう千年くらい前には・・同じ様な・・経験があったとだけ・・あまりにも鮮やかな事なので・・とね」と苦笑するように・・。
 慶子には、その意味が何となく分かるような気がした。

 

 

 

「P.S.=post script、Realより。全個、帰還を促す。其の惑星には、触れるべきではない・・。我々が関わってはならない・・ええ?価値が?何の価値が?分かった。では、・・其の事には大いに価値ありと記しておく・・しかし・・何時かは、帰還しなければならなくなる事を・・。
 取り敢えず・・君には帰還が相当だが・・暫く様子を見る、という事にしておこう・・今度迎えを遣(や)る時には・・」、そこから後は何故か途切れるよう・・。

 

 

 店も何も全く夢だったようにダミーとして姿を変えている。慶子の派遣も終わった。そして・・慶子は・・良く考えた末・・やはり、結論を出さずにいられなかった。
 次第に・・勢いの良かった恒星も西の彼方に沈みかけている頃だった。
 慶子は、彼と並んで、再び、横浜の港の見える丘公園に来ている。
 麗子と彼は互いの手を握り・・出番が早過ぎる様に思える衛星が映し出す港を眺めている。
「実は・・私・・田舎に帰らなければならない事になったの。でもね・・私、本当に価値があるものを見つける事が出来た。最初は理解が出来なかったけれど・・創造って・・計算ずくではないものなのね・・?何もかも消去する事は簡単なのに・・消去してはならないものがあるなんて・・其れに・・感性というものの役割・・更に・・貴方への・・?」
 慶子は彼の瞳の奥を見つめる。
「しかし、以前と変わらぬ美しさを湛えたような君に・・何かあったの?・・一体、何が・・私は、ただ君が美しいからだけじゃないんだ・・本当に・・それ・・」
 彼の言いたかったことは・・慶子が消去出来ないと言ったもの以外にも・・Plus quam bonum impressionem=More than good≒愛というものの存在も・・と。
 ・・丁度、街の灯りや街灯があちこちにぽつぽつとともり出し・・二人の影を足元から細長く・・。
「・・私は貧乏な絵描きだから、愛なんて言える立場じゃ無いけれど・・言わずには・・何故なのか分からない・・」
 慶子はそんな彼の、自分が映っている瞳を見・・。
「・・有難う・・何処にでも大切なモノがあるって事がどういう事なのか・・教えてくれてとても感謝している・・でも・・私と貴方では何から何まで全く異なるの・・つまり・・貴方は幸せになれる相手を見つけなければならない・・」
 そこから先は・・動物としての本能が受け入れられない仕組み・・とまでは・・言及出来なかった・・残念だが・・慶子がよく考えた末の結論だった。
 だが、彼の事は記憶に残しておこうと・・。
 

 

 二人の上空はすっかり濃い紫色の空に覆われている・・が、実は、青い惑星の三分の一ほどもある母船が停泊している・・。
 ・・は見ることが出来ない・・というのも・・空間・時間・光を自在に扱える慶子の郷里等その他の文明では・・人類の五感・・視覚・五感・や最先端の電子望遠鏡等でも到底見る事が出来ないような・・光・空間・を操作し宇宙空間の安全を確保・・且つ、全く無意味なものには関心を示さない・・・・なのである・・から。
  
 
 

 慶子の和服姿が次第に薄れていき・・母船がゆっくり降下すると・・無重力状態の慶子が浮き上がり、やがて、母船に包まれていった・・。
 慶子は・・彼の脳の記憶の内・・自らに関する事一切を消去し始めている・・。
 やむを得ない事であり・・彼を不幸にするわけにはいかないから・・。
 ただ・・もう一つ・・それだけでは・・彼は可哀そうだ・・私・・そうよ・・その代わりに・・それであれば・・彼を幸せにできる・・と・・。
 

 

 


 慶子にうり二つのモデルは惑星に存在する・・それは紛れもなく人類であり・・そもそも、慶子が当初、惑星を訪れた際にmodelにした女性・・。
 それであれば・・彼は、幸せな人生を送れるだろう・・。

 


 港、横浜の夜の海の暗さとは対照的に・・ベイブリッジの照明が一段と華やかに感じられ、それに恰(あたか)も応(こた)えるかのよう・・夜空に散りばめられた無数の星々は・・尚一層とりどりに煌めく事をやめようとは・・しなかった・・。

 

 

 

 

                      youtu.be