Peut 邦題 缶蹴り

 

 

 

 仕事の帰り道に児童公園の横を通った。
 帰り道といっても、宮田哲夫は外回りをして直帰する事が多いから、会社には戻らず直接自宅を目指す。
 子供達が何組かに分かれて遊んでいる。
 缶蹴りなのか隠れん坊なのか分からないが、宮田の方に向かって走って来て、道路脇の植え込みに隠れている子がいる。
 勿論宮田からは丸見えなのだが、この子が何時になったら遊び友達に見つかって摑まるのかと思ったら、暫く様子を見たくなった。
 其の日の仕事は思ったより早めに終わって、何時もの帰り時間よりも少し早いから、時間に余裕があったという事も言えるのだが、其の衝動はそういう理由ばかりでは無かった様だ。
 実は、先程スマホに着信があったのだが、もたもたしている内にコールのバイブは止まってしまった。
 その前にも何度かコールがあったのだが、「はい、宮田ですが」と返答をするのとほぼ同時に切れてしまった。
 その内の一件は知っている番号であった。
 あとの番号には覚えが無い、勿論会社関係からは来る訳は無い。
 白板には「・・直帰」と書いて来たから。
 そんな事があったから、宮田も、「誰か知らんが、間違い電話か、其れとも何か用事があっての事なのか」と考えてみたが、それにしてもしつこい間違え方だな・・いや、複数の人間が同様に俺の番号に一斉に掛けてくるなど偶然が重なったにしては奇遇なケースだな」などと思ったりもした。
 宮田の関心は一時だが、隠れている子供が何時見つかるのかという事に集中し始めた。
 子供の頃には誰でもやった事のある遊びだから、此の結末は決まっている筈なのだが。
 時間が経つに連れ他に隠れている子供達は次々に缶を蹴りに行っては見つけられていく、やはり缶蹴りの様で飛び出して缶を蹴る寸前に見つかってしまうというお馴染みのパターンだ。
 遂に目の前に隠れている子も終わりだな、と思った時、公園の真ん中に集まった仲間は缶を思い切り蹴ると公園の別の出口からぞろぞろと出て行く。
「あら?この子は?」と、思わず目の前の子を凝視したが、時々植え込みの隙間から覗いていたのだが、帰って行く仲間の姿を見て飛びだした。
 植え込みの横から飛び出すと、慌てて仲間の後を追い、公園を出たすぐの所で仲間に追い着いた。
 仲間は、「何だ、・・は、適当に缶を蹴りに来ないとだめじゃん。隠れん坊じゃ無いんだから、積極的に鬼に挑戦して来なきゃ。今頃来ても、もう終わちゃったんだから、バーカ」と、仲間にからかわれながら一緒になって帰って行った。
 宮田はケリが付いた子供達の遊びと、最後まで缶蹴りに参加しなかった子供の心境がちぐはぐに思えてならなかった。何時もの遊び仲間なのだろうに、まさか一人だけ・・忘れてしまった・・?故意に軽視若しくは無視・・そんな事はよくあるから・・」
 自分の事がダブって頭に浮かぶのだ。偶々見掛けた子供達の缶蹴りと自分の現在の状況が。
 掛かって来た電話の番号をもう一度見てみた。
 どう考えても記憶には無いし、勿論スマホの履歴の登録にも見当たらない。
 ひょっとして、掛かって来た番号に一つ一つかけ直せば、缶蹴りと同じ様に、缶を蹴りに行って、見つけられたという事と同じ様になったのではなどと思ったりもしたが、何か其れもおかしい様な気がする。
 どうして、掛けてみなかったのか、かけ直す事も少なくないのだが、セールスだったりする事もよくあるから、面倒だったからと言えば其れ迄だ。
 しかし、一本や二本の番号なら其れでも済むだろうが、幾つもランダムに掛かって来た番号に出なかった事が、何か後ろめたい様な、其れでいて何事かと拘わり過ぎなくて良かったという気持ちになったりもする。
 其れが、自分が犯罪者か何かで彼方此方から追いかけられている身であるというのなら、後者の境地で納得がいきそうなのだが。
 ただ、掛けるまでしなくても、応答したにも拘わらず、同時に切れてしまったという事はどういうことなのか。
 宮田という名で、間違いに気が付いて切ったのか、最初から・・まさか悪戯でも無いだろうが・・悪戯としたら・・そんな悪戯が流行っているとは聞いた事は無いし、ランダムな複数の番号から同じ事をやってくるという辺りが常識では考えられない。
 此のまま忘れてしまえば、今現在まで続いている訳では無いのだから、たった一回の何かの紛れと思えば事は其れで済むのだが・・そう簡単には。
 ただ、一つだけ知っている番号は同じ様には考えられない。
 先程たった一つだけ覚えていると思ったのは、記憶にもあったのだが、登録もされている。
 懐かしい番号だと記憶している。
 登録されている名前は「飯塚麗子」とある。
 確か約十年前に謎の死を遂げた美人女優「大原麗子」の本名である。
 あの時もたった一回だけ掛かって来た。確かに「宮田です」と名乗った筈なのだが、他にも同じ姓の知人がいたのか、それとも・・。
 其の電話口の内容では、誰かと勘違いして掛けて来たとも思えるし、誰でも良かったから適当な番号に掛けたと考えてもおかしくは無いが、何れにしても大女優との個人的な知り合いで無かった事は間違い無い。
 当時出演していた映画を見た時には、綺麗なだけじゃない、不思議な魅力がある、あんな人と友達になれたらいいなと思った事を覚えている。
 大女優であるから、他の映画にも数多く出演しているが、他の作品ではどれもこれも何故か宮田の気を惹く役柄では無かったし、何といってもあのシリーズに出演していた彼女しか思いだしたくない。大人でありながら、甘ったれたようなあの話し方は独特であったし、宮田の胸の奥に小悪魔のように居場所を見つけて居座ってくれるのだ。
 あの時の彼女は、一方的に自分の周りに起きている事を話してくれた。
 仕事の話は、「どの作品は脚本中どうしても納得がいかない箇所があっておりたかったとか、一番気に入っている作品については、長々と自分の役柄に応じた演技で壺に嵌った時の心境やシチュエーションなど」を話してくれた。
 電話はまだ続いた。まるで此方が好意を感じながら話を楽しみにしている事を分かっているように。
 彼女も宮田が聞いていてくれていると思って話を続けていたのだろうと思う。
 宮田は、一言も合いの手を入れなかったし、黙っている事で耳から頭へストレートに生の声が蓄積されていく。
 彼女は、何もかも話し終えたあと、あの甘ったるい声で「じゃあ、また掛けるから」と言ったまま、通話が途切れたのかどうか・・何も聞こえないまま・・。
 宮田がそんな事を考えている間に陽は傾いていく。
 家まで帰る為の駅までは途中にある表示板が案内してくれる。
 公園の前にどのくらいいたのだろうか。
 駅までの道を歩きながら、今は亡き女優からの電話を思い出して掛けてみようかと思ったが、亡くなってから約十年が経っているのに・・おかしな事だとも。
 やはり、先に掛かって来た他の番号にも掛けてみようかと思ったのだが、其れをする事は、缶蹴りに例えればメンバー全員に掛ける様な気がしたのは何故だろうか。つまり自分が先程の子供の立場だとすれば、同じように隠れていて、缶を蹴るチャンスを狙っている仲間に掛ける様な気がした。
 鬼だけに電話をすればいいのではと考え直した。
 どうも今日の鬼はあの女優であるような気がする。
 もう、存在しない人・番号に掛けるのには、一瞬躊躇いの様に別の思考回路が制止しようとしたのだが、既に番号をプッシュしていた。
 発信音も聞こえず、いきなり懐かしい声が話を始めた。
 宮田は、その声を聞きたくて電話をしたんだという満足感を感じる事によって、自分のやった事を正当化している様な気がした。
「よく、掛けてくれたわね。また話を聞いてくれる・・でも、今回は、貴方も何かありそうだけれど・・?じゃあ、先ずは私が話してもいい?」
 宮田は今回は相槌をうった。「どうぞ。僕は、君の声が・・いや話が聞きたくて・・」
 彼女の話は今回はそんなに長くは無かったが、そろそろつもり積もった愚痴、男性関係・巡り合えなかった子供の事・不治の病の事などでも言われるのではないかと思ったのだが、そうでは無かった。
「私の最高に満足している演技は・・・」
 あくまでも俳優として、プロとしての感想を述べるに過ぎなかった。
 実に見事な俳優根性に圧倒されながら、宮田はエンディングにピリオドの様な相槌をうった。
 宮田が自分の事を話しだした時、「十年ぶりに電話をして、貴方から折り返し電話が掛かってきたという事が、そんなあなたの「今」を・・」宮田の話す言葉が彼女には読めている様なのが、おかしくも心地よくも感じられた。
 宮田が駅に着いた時、駅の表示は何時の間にか「お帰り」と表示されている。
 宮田は確かに・・帰るのだが、その前に一つやっておかなければならない事がある。
 撮影シーンのような駅前の広場の真ん中に缶が置いてある、と思った時には、既に宮田はダッシュしていた。
 缶は目の前にあって、キックする寸前、一瞬遅れた様に彼女が何かを言った。
 しかし、既に缶は宙高く蹴り上げられていて重力に逆らっている様に、上昇して消えていった。
 彼女は笑顔で宮田に近付いて来ると、二人は駅に到着した電車に乗って行く。
「間に合って良かった。何時までも孤独なあなたを見ている訳には行かなかった・・私も、実は・・」
「分かっているわ。此れからは電話を掛ける事は無くなったわね」
 宮田は満足をしている。自分の身体に待ち受けている事がほんの少し早まっただけ・・・。他の掛かってきた電話が何だったのかが分かった、様々な「煩悩」。
 何処からも電話が掛かってくることは無い。

 

 だが・・美しいものは・・何時までも美しい・・彼女のように・・本当さ・・そうに決まっている。

 

 

 辺り一面に流れて来る黄昏色は、油のような夕日の光の中に溶け込み、白馬に飾った色糸の手綱が、絶えず流れて行く様子は、まるで画のような美しさでこの世のものとは思えない程だった。