忠臣蔵に関し「赤穂浪士関連の細川家の話」及びショートショート「inferno」を掲載する。

これは余談だが・・小説に合わせテーマ曲等の作曲演奏を・・何処でやろうか・・ワードプレスかな・・可能な限り・・ドラマや映画のイメージに近く・・と、考えている・・。

 




 忠臣蔵を知らない者はいないだろうと思えていた時代が過ぎ去ると共に、如何にも現代社会ならではの意味不明な映画なども見られるようになりました。

 一つの解釈とし・・世界的にも珍しい270年続いた徳川幕府創始者である家康公の当初の決めでは・・城内でのいざこざに関しては・・「喧嘩両成敗」・・代が変わるごとに法も滅茶苦茶になってしまった・・即日しかも犯罪者同然の庭先での切腹・・も、聊か拙い面が・・。

 以下はウイキペディアより。

 忠臣蔵(ちゅうしんぐら)は、 人形浄瑠璃文楽)および歌舞伎の演目のひとつで、1748年に大阪で初演された『仮名手本忠臣蔵』の通称。また歌舞伎や演劇映画の分野で、江戸時代元禄期に起きた赤穂事件をもとにした創作作品。

 脚色された創作であるため、史実としての赤穂事件とは異なる部分もある。

 江戸城殿中松之大廊下赤穂藩藩主・浅野長矩(内匠頭)高家肝煎吉良義央(上野介)に刃傷に及んだことに端を発する。この一件で加害者とされた浅野は即日切腹となり、被害者とされた吉良はお咎めなしとなった。その結果を不服とする赤穂藩国家老大石良雄(内蔵助)をはじめとする赤穂浪士赤穂藩の旧藩士)47名、いわゆる「赤穂四十七士」(あこうしじゅうしちし)は、紆余曲折のすえ元禄15年1703年1月30日)未明に本所・吉良邸への討ち入りに及び武林隆重が吉良を討ち取り、間光興が首をはねた。そしてその後の泉岳寺への引き上げ、浪士たちの切腹、遺族の処罰(連座)までの一連の事件を総称して、今日の史家は「赤穂事件」と呼んでいる。

 此処から後はあれやこれや明治以降も軍政下や敗戦後の進駐軍の指示などで、映画の上映さえも許されなかったり、現代社会も緘口令の基が如く、いろいろの統制社会を顧みる事も出来る。

 参考になるものは少ないが、見て面白いのは「58年大映役者オールスター出演の赤穂浪士・・」昭和時代には大映倒産前の役員だった長谷川一夫さんとミスコンテスト山本富士子さんが美男美女の代表のように言われた時もあった。

 ここでは、内匠頭は37歳没・・休み返上で撮影した関西歌舞伎からの市川雷蔵さん・妻が富士子さん大石が長谷川さん、鶴田さん京マチ子さん・・若尾文子さん・・文子さんはデビューして間もない頃は今の彼女と大違いの子供顔チンのよう・・失礼・・で、「日本橋」でも同様・・これが、「女系家族32歳設定・・では、美人顔だけでなく・・身のこなし方や表情の変え方からしても・・十分過ぎる美しさを感じさせている・・立派な女性に代わっているという事・・。」

 実は、映画のタイトルからし怪しげなものも少なくなく見られ・・現代では「妖艶・・」だそうだが・・子供のころから家族の様な目で見てきた彼女に、著者は全く別の解釈を抱く。

 現代社会は一見、情報社会・ITで進歩のようだが・・その実、IT技術も追い付かずの詐欺が横行するUSA的な治安の悪い何でも自由主義・・に対し、何でも法規制や監視カメラで対処・・しか能がない世代=百歳以下の世代・・つまり大正14年生まれ前後の世代と好対照・・。

 その色香とやら・・確かに・・男性側からすれば・・未練たらたら・・粘着テープで拘束されたような心理になるのかも知れない・・。

 一方、市川雷蔵さんは真面目で、最も共演が多い中村珠緒さんも、「・・結婚・・」「・・玉ちゃん・・ほくろの数まで知っている幼馴染ですから・・」「・・市川さんは真面目で頭がよく台本通り・・うちの亭主は変えちゃうのね・・これ・・勝さんへの誉め言葉かも・・?」「・・雷ちゃん鼻の下で切っているよ・・勝さん言・・」・・業界にはいろいろの事があるが・・現代のネットの情報も宛にならない・・文子さん身長173が出回っているようだが・・ヘプバーンでさえ自ら嫌いな背の高さ170・・155から下がってきている・・。

 市川さんから見た文子さん・・「・・清潔そう・・」一方・・「・・業界の女性とは結婚しない・・」で・・永田社長の養女で日本女子大出の奥さんとゴールイン・・中野学校ばりの・・変身名人で素顔と気づかれない・・自身で器用にメイク・・真面目で年間休み返上の撮影ラッシュ・・現代の休みだらけでは景気も悪くなる訳・・。

 ただ、市川さんの夢は監督で・・文子さんともプロダクション立ち上げて具体的なお芝居の話もしている・・途上・・惜しまれつつ逝去された・・。

 此処で・・関係ない事を少々申し上げると・・「実は、人類まで進化した元は、単細胞から出発したが・・【彼ら】からのイメージから受ける印象は、太陽系で偶々いろいろな条件が重なり・・要は、恒星無くして人類は存在しない事になり・・人類で言う確率など・・無いに等しいともとれるのが面白い・・それでも、すったもんだ・・相も変らぬ雄雌の関係が続いている事になる」で・・世界中が同じような生命体発見に期待をしたところで・・無い袖は振れず・・NASAもがっくりだろう・・。

【彼ら】は相対時間でさえ、太陽系以前ヵら見て来・・代々記録も取るまでも無い程の人類で言う映像以上の記録があるような・・イメージ・・。

 

 さて・・赤穂浪士に戻らなければ・・今は原作者不在で見る影もないNHK大河のよう・・花の生涯第一作のヒットに続く・・二作目の赤穂浪士は面白かったが(討ち入り時の瞬間視聴率は53%以上で、TVを見ている人類の半分となる。)・・マスターテープが見つからない?・・役者は演技が肝心・・蜘蛛の陣十郎役の宇野重吉さんは監督などの多彩・・に出演も非常に多いが・・演技が上手く素のままかどうかわからない程・・。

 

 では、こんどこそ、「赤穂浪士関連の細川家の話」。他人のもの貼り付けで、著作権侵害の意図はない。

 

 

 討ち入り後に赤穂浪士が預けられた細川家の話を。
 だが、短い時間で細川家を記述する事は難しいので、赤穂浪士に関連する部分を中心にする。
 此処からは、日本初の歴史戦国ポータルサイトBUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)というところの記述を拝借させて戴く。

 話の前に、切腹は此の国でしか聞かれない言葉で、戦時中迄行われたが、現代では一人しかいないと思われる。其の三島氏にしても、盾の会の介錯人が介錯をするまで、本人はかなり時間がかかったとも言われている。
 江戸時代以前の武士でさえ必ずしも簡単に・・では無かったとも聞かれる。時間が過ぎれば気絶してしまう事も考えられるので、介錯が大きな役目を果たしていた。
 以下の話にも登場するように、介錯人には腕の立つ者などが起用されたようだ。
 其れでも、介錯人がいなく切腹の場で無いところで行う事もあったので(「計られ」主君を助けられなかった場合など、その場で一人で腹を切るなどのケース)、その場合には相当本人の腕が立たなければならない事になる。


 赤穂浪士が無事討ち入りを果し泉岳寺に眠る藩主であった浅野内匠頭、の墓前に吉良の首(首と一口に言うが、実際には屋敷内でとも限らず、全国行脚し仇を探し出し確率は定かでないが、半分とし、仇を討った場所から戻る際に交通機関など無かった世だから、時間がかかり腐ってしまう虞もあったが、そう言う時には髷(まげ)を切って持ち帰った等工夫をしたのではないかと思われる。)を、というところ迄は良く取り上げられる。
 現代で言えば仇討は殺人罪に相当するので、此の国の三大仇討の一つであるこの事件も犯罪と看做(みな)される。
 綱吉の命で家は潰されるし、主君は即日切腹を仰せつかったのだが、此の国では「天晴~あっぱれ」の国民の声が至る所で聞かれた。
 殺人罪といっても当時の武士は切腹できるのはまだ良い方だと思っていたようだ。
 結局、切腹の為に預けられたのが四つの家だった。家といっても藩主の家の事。
 四つの家に預けられた内の三つは兎も角、細川家につき話をする。細川家といえば、細川藤孝細川幽斎)や、その息子でキレすぎる風流人・細川忠興の家で知られる。

 忠興には、なかなかエキセントリックな一面があったが、跡を継いだ細川忠利以降は名門に相応しい振る舞いをしており、この頃の当主は細川綱利(つなとし)という人で、忠利の孫。
 細川幽斎から数えれば五代目にあたるそうだ。

 元禄十六年(1703年)ともなれば、戦国の気風はかなり薄れ、あちこちの大名家で財布の紐やウエスト周りが弛んでくる頃合。
 が、さすがに室町時代からの名家は違ったという。
 綱利は浪士たちの預かり先、しかも筆頭だった大石内蔵助良雄を含めた17人という最多人数を任せられることが決まると、到着が真夜中だったにもかかわらず、ずっと起きて待っていたという。
 さらに罪人に対するとは思えない食事(二汁五菜)や菓子に酒、部屋、風呂に嗜好品の世話までしてやり、大石については直々に会って話を聞くなど、彼らのやったことを肯定するような行動をした。
 一応幕府に許可を取ってはいたものの、ヘタをすれば細川家の命運に関わりそうなもの。
 しかも助命嘆願だけでなく、わざわざ山へ神頼みに行くわ、「命をお助けくださるなら、我が家で召抱えたい」とまで申し出るわ、願掛けのため精進料理に切り替えるわ、相当な入れ込みようだったそうだ。

  細川綱利が規格外だったのかもしれない。
 とはいえ彼も武士、幕府から「切腹させよ」と命じられれば従わざるを得ない。
 最後の情けか悪あがきか。「端役(はやく)の者では彼らに礼を失する」として、介錯人(切腹の際止めを刺す役)に重臣(じゅうしん)や自分の小姓(こしょう)を当てるなど、心配りを見せた。
 綱利も自分の家を守らなくてはいけないから、最大限の配慮をすることで浪士達に礼を尽くしつつ、幕府への体裁も整えた。
 さすがに50万石もの大大名である細川家を潰すわけにはいかない。
 こうなると赤穂浪士たちを預かっていた他の三家と差が窺えてしまいそうだが、綱利が規格外すぎただけのことなので、他家が悪いわけではない。
 むしろ細川家が代々幕府の役に立ってきた家だったからこそ、お目こぼしをしてもらえたのだろうという。
 もし普段から幕府に反抗的だったり、さほど熱心にお勤めをしているようには見えない家だったら、これを機に何らかの処罰がくだされていたかもしれない。

 
 港区高輪の旧細川家下屋敷跡にはITALY大使館が立っているそうで、どうやらその大使館に、「大石義男外十六人忠烈の跡」という石碑が立っているという。
 同じく三田松平家中屋敷跡には浪士たちの忠義を称える碑が立っているそうだ。
 因みに、供養までしてくれているそうで、ITALYに足を向けて眠れないという事の様。
 死にたくない人もいたのかも知れず、まあ、そんな事は言わないでしょう。
 時間が無いので、もう少しで終わるが、時代が違うとはいえこの国の伝統は、忠義・仇討(此れは目下の者は対象に出来ず、あくまでも目上の者や目上の家族など。)大東亜戦の特攻精神(此れはUSAのような白人種には、というか他国全般にあり得ない事だったのでしょうが。犠牲の精神が尊ばれたという事でしょう。)など、本来は法律の専門家であるのだが・・ある意味、お疲れさまでした・・と言うべきのよう・・ではある。


 

 

Inferno

「ここは自治会の当番がいろいろあるから」

 安井久は、賃貸マンションに引っ越そうと思って下調べに来た。
 家賃が安いし、と思い申し込みに来た。自分の家を出てからかなり時間が掛かった、やはり、遠い。もう夕方になろうとしている。
 それに、最寄りの駅からも遠い。一時間に一本しかないバスを逃したら、三十分は歩かないといけない、山の上にある大きな団地だが。
 駅から団地行のバスに乗ったら、運転手は愛想が無いから、何処のバス停で降りたら良いのか聞いても黙ったまま。口を開けたと思ったら、「音漏れがうるさいから切って」と注意され、音楽も聴けない。
 何とか歩いて、途中何人かに聞いて、やっと棟を探す事ができた。棟のエレベーターは使わずに、わざと階段で各階の状況を見ながら最上階の十階まで辿り着いた。ドアに「班長」「棟長」その他何か良く分から無いが、大きめの看板のような物が貼ってある。久は、こりゃ何かいろいろありそうだなと嫌な予感がした。
 詳しい事を聞いてみようと思ってドアをノックしても、反応が無い。昼間だから、働いている部屋が多くて留守なのかなどと思った。
やっと、チャイムに応えてくれた部屋があって、中高年の女性がドアを開けてくれた。
 久は、「済みません。何かドアにいろんな物が貼ってある部屋が多いんですけれど、あれは何ですか?」
 その女性は面倒そうな顔をしながらも、「・・いろいろ、当番があってね、順番に回って来るんだよ。詳しい事は自治会の五区の事務所がずっと向こうの棟の先にあるから、詳しい事はそこで聞いた方がいいよ・・」と言って早々にドアを閉めてしまった。
 事務所までは、結構遠かったが、何とか人に聞きながら見つける事が出来た。
 蛍光灯かLED電球か、良くは分からないが、文字の形に配列されていて、「じちかいごくしゅうかいじょ」と書いてある。久はそれをちらっと見、「電光掲示板のようだが洒落ているな」と思った。
 久が、ドアを開けて、「済みません、何方かいらっしゃいますか?」と声を掛けたら、奥から中年の女性が出て来た。
 久が分からない事を聞き始める。

「あの班長とか、棟長とか、その他ドアに貼ってあるのは当番という事でしょうが、どんな事をするんですか?」
 女性は細かい説明を始めた。「班長は・・、棟長は・・」
 久は、そのくらいなら何処もあるだろうから面倒でも仕方が無いなと思った。
 しかし、女性の話はなかなか終わらない。話している最中に老人が入って来、「・・あたしゃ、これ、出れないからね・・」と弱弱しそうな口調で女性に壁に貼られた催しものの話をする。
「先ずは、自治会費の集金、これは一軒一軒廻って集金ね」
「先程、何処の部屋のドアをノックしても反応が無かったんですが、まあ、昼間だからいないんでしょうね」
「・・ああ・・違うんだよ。此処は、年寄りばかりだから、耳が聞こえ無いからさ・・」
 久は、こりゃ大変そうだなと思い、「それじゃあ、集金にかなり苦労しそうですね」と言うと、女性は何とも言えない表情・・「まあ、やってみれば分かる・・」
 久が次の質問をしようと思ったら、先程の老人が入って来、先程と同じ事を。「あたしゃ、出れないからね」
 女性が、「分かってるよ」。
 久が女性と話をはじめて暫くすると、また、あの老人が。久は四十分くらい集会所にいたが、その間に十回くらい、あの老人が同じ事を言いに来る。
 久は自分の親で経験があったから、「あの方、認知症では?」
 女性はぶすっと笑って、「・・此処は多いんだよ。ああいう人達・・皆、九十五とか百歳代・・で・・あんたなんか若いから・・」
 老人の度重なる訪問の合間に詳しい事を聞く。
 久は女性の説明を聞いている内に、「こりゃ、半端じゃないな。しんどいぞ」
 などと・・。
 女性が喋る、「・・それに、建物の階段の清掃・建物の周りの清掃・集金・運動会・祭り・ま~だま~だあるよ。ゴミ置き場の清掃に・・分別・・他にもいろいろ・・」
 久は思った。

「ゴミ置き場など普通は業者が来て持って行くし、ある程度清掃して行くから・・そんな事までやる所は無いけれどな・・」
「・・ゴミの分別と言っても、いろんな物があるから・・死骸とか・・」
 久は呟いた。「面倒だな。ペットの死んだ後まで処理しなきゃいけないのか・・」

 

 女性は耳・・悪くはないらしい、久の呟きをしっかり聞いていた。
「・・ペット?違うよ・・だから・・此処は年寄りが多いから・・」
 

 

 久はこれ以上説明を聞いても仕方が無いと・・挨拶をし・・表に・・。引越し、此処はやめようと思った。
 もう、外は真っ暗・・。

 

 入る時に気付いた電光掲示板の看板が、闇の中で心細そうに瞬いている・・殆ど、電球が切れているようだが・・残った灯りは僅かに三文字・・。

 

 

 

 


・・・ごく・・・・・・・

 

 

 

気楽なモノ総合テーマ」

 小説は既存が三百・・更に新たに幾らでも書けるのだが・・先日は・・小説サイトから十数作盗難に遭ったが警視庁に架電済み(笑)小説は映像に変わるので・・市川さんその他亡き後、好きな文子さんその他の名演技も見せて頂きたいなど・・。

 作曲・即興演奏live・しかも、小説に合わせ・・classic・jazzっぽい・disco・ハイテンポ・などのジャンルやリズム・楽器選択も様々・・時代物の一つには歌謡曲・演歌・平尾昌晃さん風・・等となると・・二曲で7~8時間かかる事もある・・ので在庫はあるにしろ・・ショートなら・・と、総合テーマとした訳・・楽器については幼稚園でバイオリンを初め・・履歴は・・何れまた・・楽器は一台のみ・・偶にPercussionや効果音のみの目的で幼稚な楽器を接続する事もあるが・・。

 また、YouTubeにアップでは、mp4等拡張子に制限があるが・・噂によれば・・世界一のワードプレスでは・・音楽の挿入が簡単で・・WAV・MP3・等で用は足りるとの事・・著作権盗用されたくないし・・の問題もあるので・・その点も考慮しなければ・・ただ、良い曲で例えば女性・・器用さは美空ひばりさん・・声質は桂銀淑さん・・3オクターブ上下自在・・の上手な歌手であれば・・提供もするが・・業界のルールもあるだろう・・詳細は何れまた・・。

 

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