「夜景」
同じタイトルのソングを作曲しているのは・・同窓一回り以上後輩にあたる・・向こうはそう思っていないだろうが・・竹内まりやさん・・。
これ・・かなり初期の頃のもので・・当初は幾つもの夜景写真を貼り付けていたのだが、現在は見当たらないので、詰まらない話だけになってしまうが、何れ、三作目からは何とかします。
学生時に交際していた女性が、都内M市に存在し、現在でも知らない人はいないといわれている有名な総合病院の院長のお嬢さんで、桁違いの上流階級だった。
英語はnativeにさえ「早口」と言われるくらいであるし、山手には外人の住む住宅も多く、そのうちの一軒がフィリピン大使?のお嬢さんだった。
その女性をモデルにしたお話で、内容はかなり変えているが・・では早速10作ほどのSeriesからその一を・・。
で・・彼女の歌は他人の著作権の関係でここでは公開できないので・・YouTubeの検索欄に,次の 文字を入れて聴いてください。ヒットメーカーだから、カバーが多いので、是非、本物の竹内まりや・・かどうかを確認してください(笑)。
夜景竹内まりや
或いは https://youtu.be/qF4OGEKtKhg?si=XKIx73d7RhcgvRdO では見れないと思う。
一
優子の家は横浜の山手にあった。
今日、一男は優子に家に来ないかと誘われた。
二人は京浜東北線の桜木町の駅で降り、並んで客待ちをしていたタクシーに乗ると、優子が運転手に行き先を告げた、それがこの山手である。
山手と言えば高級住宅街である。
近くには、外人墓地や港の見える丘公園等が有る。
やはり、タクシーから降りたら目の前に大きなお屋敷が待ち構えていた、優子の家である。
優子の父である野宮哲夫は、東京の多摩に有る野宮病院の院長であると優子から聞いていた。
野宮病院は、その地域では有名な総合病院である。
家も立派なわけだと一男は思った。
・・・とお話がいきなり飛んでしまった。
この場面はシリーズ「4」で出てきます。
では、順を追ってシリーズ「1」からお話します。
このお話は二人が学生時代の出来事・・。
初めて優子に出会ったのは、山手線の田町の駅から大学の近くまで伸びている仲通りにある古谷書店という小さな本屋だった。
一男は東京の三田に在る大学に通っていて、4月の今週から3年生としての生活が始まったのだ。
講義で使う本等は、キャンパス内の生協にも置いてあるものもあるが極一部だけだ。
学生達は古谷書店のような大学の指定書店で大方の書籍を購入する。
一男は、2時限目の石川博士の民法の講義の前に、買い忘れていた本を買いに来た。
この時期は、学生が購入する本は大量に置いてあるので、すぐにそれとわかった。
太閤社のシリ-ズの民法(1)総則を手に取り、確認してからレジへ。
同じ様な目的で来た学生で店内は非常に混んでいる。
書棚から1冊の本を取り出してレジに向かう女性とぶつかってしまった。
はずみで女性の本は通路に落ちてしまったので、一男が屈(かが)んで拾い女性に渡した。
何かタイトルが英語で書かれた難しそうな本であった。
その女性はお礼を言ってレジの列に並ぶ、一男もその後ろに。
第一印象は・・綺麗な人だな・・と。
講義の時間まであまり余裕が無かったので、早足で大学仲通りを抜け三田通り(桜田通り)へ出る。
通りの歩行者用信号が青点滅していたので、慌てて渡ろうとし道路の縁石に脚を取られたはずみでつんのめり、持っていたバッグを落としてしまった。
すぐ後ろを歩いていた女性がそれを拾って渡してくれた。
「あっ、どうも・・ありがとう」
照れくさそうにお礼を言いながら顔を上げたのだが・・先程の女性・・。
「これでお返しね」
「何か・・偶然・・ですね」
と互いに笑顔のまま一緒に歩き始める。
講義の時間が迫っている、二人は殆ど言葉を交わす暇も無く並んで歩き、警備員が脇に立っている正門(南門)からキャンパスに入る。
そこで別れ、一男は南校舎の講義の大教室へ、その女性は更に奥の校舎へと向かって行った。
教室にも、面積が広く床は斜面に階段式、机は数人座れ横長式で、後ろ程高い位置から教壇が見易くなっている大教室と、高校まで見慣れてきた通常の教室~語学等に使われる~が有る。
一男は法学部で、民法は必修科目であるから、大教室で法学部長であり石川忠雄法学博士の講義を一時間半ほど聴講した。この当時の義塾学長は工学博士久野洋。
午前の講義が終り、昼休みは学食でミートソーススパゲッティーを食べる。
何故か学食では同じ物ばかり食べてしまうが、カツカレーとミートソースがその代表的なもの。
大学の友人とは、たいてい同じ高校からこの大学に入った同級生やら、日吉キャンパス1~2年・・第一・第二・外国語授業時にクラスで一緒になった他校からの同級生、一男は前者の友人とは学部を越えた付き合いがあったのだが・・。
三田のキャンパスに来てからは、何故か単独行動が多くなったのだが・・其のほうが気楽な気がし・・或る意味彼女に出会ったのもそのおかげなのか・・。
午後の講義も終ったので、キャンパス内にある生協に寄りノートを1冊購入した。
一男は、大学受験の際・・どの学部・学科にするか随分迷った。
趣味は音楽や読書等いろいろあったのだが、学問~科目については特に興味を感じるものは無かったのだが、それは、実務系~経済・法律・商学等はどうも取っつきにくい気がしたし、文学部ではやや就職難などと言う者もいたので、迷った挙句、国立大と義塾2学部受験して最初に受かったほうに決めた、それが今の学部学科である。
大学に入り2年が過ぎたが、未だにカリキュラムどおり忠実に単位を取得しているだけ・・という感が否めない。
大学などというものはそんなものだと勝手に解釈している。
であるから・・授業(講義)が終わった後こそ、彼の彼らしい面を出せる時間帯でもある。
年に2回有る期末試験の前は、厭でも勉強せざるを得ないが、今はその足枷(あしかせ)など無い。
先程のノートをバッグに入れ、目指すはレンガ造りの図書館、この八角塔を備えた図書館は明治の生まれだそうだ。
入り口で学生証を提示し階段を上がり空席を探す。
空いている席に座ろうとして気が付いた、赤色が入ったチェックのブレザーを着た女性が近くに座って本を読んでいる。
何時間か前に見たチェックのブレザー・・の女性。
と、運良くなのか・・彼女の隣の席にいた学生が立ち上がって椅子をしまった。
すぐさま、一男が椅子を引いてその席に座る・・バッグは静かに足元に・・ノートは拡げて机に置く。
一男は暫く何もせず、隣人の様子を窺う。
その気配に気付いた女性は、顔をこちらに傾けた。
二人の目線が合い、どちらからともなく笑みを浮かべる。
一男は女性が読んでいる見覚えのある本を見ながら小さな声で、
「それ、今日買った本じゃない、何か英語の難しそうな・・」
「ええ、あなたに拾って貰った・・」
偶然が重なるとは・・互いに自己紹介を・・。
野宮優子は文学部の英文科だということで、それなら本もそれなりか。
「で、あなたは・・」
ノートを拡げたまま何もせずにいたのは・・来たばかりだから・・。
「・・うん、これに、日記を書こうと思って・・」
大学生で日記・・というのも珍しいと思うが・・。
「本当は小説でも書きたいんだけれど、最初は日記式に書いていこうかと思ったんだ」
「小説?いいわね、私も小説は好きよ」
「・・やっぱり英語の小説とか・・」
そうではないらしい、夏目漱石や森鴎外のようなこの国の文豪(既に亡くなった人たちの事をそう称する。)と呼ばれる作家の作品が好みのようだ。
一男は、何か気が合いそうな・・と。
「・・僕も、漱石とか好きなんだ、でも、その本は・・?」
友人にフィリピン人の仲の良い女性がいて、フィリピンの事が詳しく書かれているから、読んでみればと薦められたとのこと。
小声での話は続くが・・周りに迷惑ではないかと気になった。
それは兎も角・・一男は、話をすればするほど・・優子に好感を持つようになる自分を感じ・・・。
相手はどう思っているか・・など・・。
話はまだまだ続きそうであり、ここでは長話には相応しくないからと、一緒に図書館を出キャンパスへ。
「小説」で気が合った二人は、西校舎の自販機の方へ向かおうとし、優子が足を止める。
「ねえ、良かったら喫茶店に行かない」
「・・あ・・そう、自販機じゃ味気無いよね・・」
二人は幻の門と呼ばれる東門からキャンパスを後にした。
三田(桜田)通りを渡り、仲通りのカモンという喫茶店に入る。
朝は偶然が重なった二人なのだが・・ここまで来れば話は弾み、小説の話から趣味・飲食の話・気に入ったお店の話や何処から通っているかなど・・。
最後には・・次に一緒に遊びに行く約束までも・・。若者はたった一日でも気が合えば、すぐに打ち解けるという時代である・・。
二人は田町の駅まで一緒に行き、優子は京浜東北線西行き、一男は山手線外回りでそれぞれの家に・・。
どちらの電車も同じホームだから、二人の会話は電車がホームに入りドアが開くぎりぎりまで途切れない。
青い電車と黄緑色の電車は、ほぼ同時にホームに入って来て、二人を別々に乗せ、滑るように走り出す。
同じようなスピードで走るから、二人ともドアの窓ガラスに張り付いて互いを見ている。
品川の駅を過ぎたところで線路が分かれる、優子が小刻みに手を振り、一男は大きく手を振った。
間も無く・・電車は線路沿いの建物で遮られ見えなくなった。
一男は、大学に入ってから2年になるが、東急目蒲線の洗足駅から歩いて10分くらいの一軒家の二階に下宿をしている。
2年までは日吉に通っていたからここから何も不便では無かったし、食事(賄い)付きで無い点も気楽で良かったが、三田に通うことになった今は、玄関も家人と同じであるし、そろそろアパートにでも引っ越そうかと思っていた。
・・急に・・昨日の優子の顔が浮かんだ。
今日は金曜日、授業は午後からだから駅前の3軒の不動産屋の貼紙を見ながら回り、1軒の不動産屋に入る。
結局、京浜東北線の大森駅から20分程徒歩のアパートを車で案内して貰い、アパート代も安いし・・まあいいかなど思い契約を・・。
京浜東北線ってことは・・優子と同じ電車に乗る事になる事になる。
午後1時前にキャンパスに着いた。
授業の終り頃、一瞬、今日は優子に会えるのかな・・などと思ったりもした。
午後の授業が終るころ・・日差しは優しく感じられ・・。
ノートの入ったバッグを持ち図書館へ、階段を上がり空席を探す・・と。
・・いた、ほぼ同じ場所・・。
優子と会うようになってから、何か古い図書館の蛍光灯の光さえ違って感じられる・・白色の光が柔らかく臙脂の絨毯や周りの物を引き立たせている。
その蛍光灯の下で・・一男は笑いながら、
「やあ」
優子も余裕で笑みを交わす・・。
そして・・再び共に図書館を出ることとなる・・。
これでは・・一男の日記は全く進まない・・が、優子と一緒に居るほうが楽しいのだから、日記は家に帰ってからつけようと勝手に考える。
一歩先を歩いていた優子が突然振り返り、
「・・これから東京タワーでも行ってみないかしら・・」
「う~ん、僕は暇だし・・いいね・・」
東京タワーまでは・・JR田町から浜松町駅までは一駅、歩いて10分程、陽が傾き・・落ちる頃には、タワーに綺麗なオレンジ色のライトが点燈する。
250メートルの特別展望台まで昇り・・エレベーターのドアが開けば・・辺り一面に東京の夜景が広がっていた。
「・・何時見ても、綺麗・・」
「・・素晴らしい、クリスマスなんかのイルミネーションも綺麗だけれど、僕はこういう自然な夜景の方が好きだな・・」
「私も、同じ・・気が合うからかしら・・」
「・・明日はどうしよう・・?」
「・・明日は・・何処・・ここは大学から近いからちょっと来てみたかっただけ・・」
二人並んでゆっくり・・濃いブルーな照明に包まれながら移動する、眼下に宝石が散らばって輝いているかのような夜景を見ては・・いろいろな話を・・。
先ずは明日の候補を幾つか挙げ、待ち合わせは田町の駅に10時ということに・・。
一男の引っ越し予定の話やお互いの家の事、フィリピンの友人がジャーメインさんといってお父さんがフィリピン大使だとか・・いろいろ・・。
まだまだ話は尽きなかったが、明日の予定もあることだし、今日は帰ることに・・。
浜松町の駅まで15分ほど歩き、同じホームから別々の電車に・・は同じ・・。
そして、電車は何時ものように並行し滑るように走りだす。
電車の蛍光灯が車内を浮き立たせている、二人はドアの窓ガラスに張り付いて外を向いて立っている・・それぞれの姿を確認するように。
品川を出・・手を振る。
やがて、電車の赤い尾燈が向きを変え・・街の夜景に溶け込むように遠ざかって行った。
朝夕のラッシュ時に電車が混むのは当たり前だが、最終電車も相当混む。
これに乗り遅れたら、面倒な事になるから。
ただ混むだけではない、酔っ払いの吐息が臭ってきたり、疲れているのに、押し潰されそうになったり、電車のドア等に押しつけられたり、余計なエネルギーを消耗してしまう。
小田急線にはロマンスカーという特急があるが、慣れた人はこれを利用する。
例えば、新宿に用事があって行く時など、新宿駅に着いた時に、前以て帰りの切符を買っておくのだ。
ロマンスカーは全席指定席だから前以て予約を取るか、特急券と乗車券を買っておけば、最終電車をあてにする必要は無い。
余裕で帰宅できるのだ。
藤堂達三人も帰りの切符を買っておいた。
もう一人・・今日の主役がいた、金谷祥子である。
祥子の家は中央線の阿佐ヶ谷に在ったから帰る方向が違う。
だから、切符を買う必要は無い。
調布に在る不動産会社の同僚である四人で銀座のシガーというパブに飲みに行くのだ。
週末に一杯飲もうと前から約束してあった。
というのも、祥子が今月で会社を辞めるので、会社の送別会とは別にお別れ会をしようと山本が藤堂と渡辺を誘ったのだ。
この中で藤堂以外の三人はこの会社に長くいるが、藤堂はまだ中途で入社して半年位である。
藤堂が入社し暫くして、同僚の吉岡と飲みに行ったことがあった。
吉岡の話は、会社や仕事の話が殆どだったが・・。
そろそろ帰ろうかと思っていた時・・、吉岡の口から祥子の名が出た。
社内では祥子と渡辺の仲が怪しいというような噂があると言う。
噂はそれだけでは無かった。
祥子が暫く会社を休んでいた期間があったらしいが、その理由が妊娠したのでは・・・ということまで。
祥子は30代前半、独身で渡辺の部下だ。
だが、渡辺は40代前半で所帯持ちである。
子供はいないが、妻がいる。
噂だから良くは知らないが、もしそれが本当だとしたら・・。
実は、藤堂は祥子と飲みに行ったことがある。
或る朝、調布駅で電車を降りたら、前を祥子が歩いていた。
追い付いて、一緒に会社まで行ったことがあった。
その時に、飲みに行かないかと誘ってみた。
冗談半分で言ったつもりだったが、答えは
「いいわよ」
ということだった。
藤堂はちょっとびっくりした、渡辺との噂を聞いていたから・・余計に。
約束はその日の内に実行された。
昼過ぎにトイレに行って戻ってきたら、机の上の電話の下に小さな紙が挟んであった。
紙には如何にも女性らしい端正な字で「北口の花屋の前で待っています」と。
その日は残業もせずに調布駅を南口から北口に抜けて花屋に向かった。
時間の指定は無かったから、待たせると悪いと思った。
果たして祥子は花屋の前でこちらに背中を向けて立っていた。
それから、二人で近くの飲み屋に入った。
祥子は結構酒が強いほうだった。
藤堂が会社に入ってからまだ日が浅かったので、祥子が社内の事をいろいろと詳しく説明してくれた。
優しい娘だなと思った。
祥子の話が一段落した頃、藤堂が言った。
「ねえ・・何処かカラオケができる所に行かない」
「いいわよ・・私のほうが詳しいから近くのパブに行きましょう」
果物屋の横の狭い急な階段を上がると、こじんまりとした店があった。
臙脂の絨毯に鶯色の柔らかそうなソファが幾つか並べてあって、そのソファに囲まれた先にカラオケ用の低いステージがあった。
カラオケをやろうと思って祥子を促したら、
「私はいいから・・遠慮なく先に何か歌って・・」
「そう・・じゃ、ママさん、この曲お願いします」
来生たかおの「Goodbye day」をリクエストした。
歌い終わってソファに腰掛けたら
「上手いわね、いい曲だし」
と世辞を言われた。
次は祥子の番だなと思ったが・・話が始まった。
個人的な事まで話してくれて・・驚いたのは・・自殺をしようとした事があるというところまで聞いた時。
手首に躊躇(ためらい)傷があると言った。
祥子は見せようとはしなかったし、藤堂も見たくは無かった。
だが、祥子の色の白い端正な顔立ちから窺える表情は、それが嘘では無い事を物語っていた。
ただ、どうしてそんな事をしたのかは聞けなかった。
「驚いた・・」
「いや、別に・・何か・・いろんな事があったんだろうね」
1時間以上経って店を出た。
調布駅まで行って
「送って行こうか・・」
「ううん、大丈夫・・」
「じゃあ、気を付けて」
「ええ」
シガーでの話は、案外殆ど仕事の話だった。
「建築基準法上の道路に2メートル以上接して無いとすると、あの物件は値段が・・・」
藤堂はあまり話さず、ただ祥子の横顔を見ていた。
祥子は、特に会社に未練も無さそうな風情だった。
何時間いたのだろうか、店を出たら銀座の夜の姿が横たわっていた。
四人は地下鉄で新宿まで行った。
小田急線の乗り場まで祥子も一緒に来てくれた。
「じゃあ、皆さん、今日はいろいろと有難うございました。」
「祥子さんも元気でね、また会いましょう」
と山本が言った。
藤堂は黙っていた。
三人は小田急線に、祥子はJRの方に歩き始める。
改札口の直前で、藤堂が立ち止まった。
「あれ、どうしたの」
渡辺が聞いた。
藤堂は、あちこちポケットの中に手を入れては出しながら。
「切符が無いんだ」
「ええっ、もう電車が出るよ」
山本が言った。
既に発車のメロディーが流れている、アナウンスも。
「僕は、いいから、早く行かないと」
渡辺と山本は走って電車に飛び乗った。
藤堂はホームを出て行く電車をちらっと見てから、JRの方に走った。
JR中央線の下り線ホームの階段を駆け上がり、ベージュのコートを探した。
「どうしたの・・」
「うん・・切符が無くなっちゃって」
「大丈夫・・」
「特急でなければ電車はあるから・・」
オレンジ色の電車が滑り込んで来た。
「じゃあ・・また・・元気でね」
祥子の前髪が揺れた。
「・・元気で・・あの・・・」
祥子の声を遮るようにドアが閉まると、ほぼ同時に電車が動き出した。
藤堂はゆっくりと階段を降りて、小田急線の方に向かった。
「もう・・いらないな・・」
呟きながら、ポケットの中に入っていた特急券をゴミ入れに捨てた。
渡辺とは一緒に帰りたくなかった。
終電車に乗った。
特に週末だから満員だ。
電車がガクンと動くと、人垣もどっと動く。
藤堂はまた呟いた。
「手首の・・傷は・・やはり」
祥子の色の白い端正な顔を思い浮かべた。
車窓から、街の灯りが流れていくのが見える・・次第に流れが早くなる。
社で部員から飲みに行きませんかと言われた。
社でも評判の美人だから、男性の受けは良いようだ。誰が彼女を落とすかというような状況ではと思う。
三田洋二を誘ったのは人畜無害だからだと思う。年齢も離れているし何か相談でもあるのか、それとも暇潰しなのか・・。
社の近くの居酒屋で飲む事にした。洋二は専らビール党だが酒井紗耶はサワーに決めたようだ。
摘みはお決まりの焼鳥などだが、彼女は特別何をと言わないから、何でも好きなものを頼めば?と。
飲み乍らの話題は、社での男性の中で誰が最も彼女に似合っているかという事だ。
彼女とは以前も何回かこういうことがあった。美人だから相手を選り好みしているのか・・なかなか決められないような様子だ。
慌てる事は無いが、最初に飲みに行ってから二年が経つ。適当に見繕ってという訳にもいかないが、もうそろそろ・・候補が浮かんでもいいような気がする。
具体的に何名かの名を挙げてみた。彼女の好みをある程度は聞いているが、実際の所誰がいいとは責任もあるし言えない。
其れで、次第に時間が経ってしまった。洋二は独身だが、今更自らの相手を見つけるのは難しいと実感をした。
大体、此れはと思う女性はいないし、外見だけでは分からないが、案外女性というものはいろいろな要望が多い。
特に、離婚を経験した女性は未婚や死別よりも理想が高く、海外旅行や贅沢をしたいというパターンが多い。
洋二の様にそういう事はどうでもいいのではという考え方はしないから、こりゃ、此のままかなと思う事ばかりだ。
万が一自分に何かあった時でも、相続はどうしようかと思ったりもする。
恵まれない子供の施設にでも寄付など考えた事はあるが、案外、意味はないような気もする。
というのも、具体的にどの子供に渡る事になるのかという事は教えて貰えない。
そんな事を考えていて、彼女の相手の事を考えていなかった事に気が付いた。
其れでも、何人か頭の中には浮かぶのだが、中々口に出せない。それとなく彼女に匂わせてみるが、反応は今一のようでもある。
しかし、此れでは先に進まないと思い、社の便せんに何名かの名を書き封筒に入れ、店を出る時に彼女に渡した。
其の後、飲み足りないからと・・駅前の路上に出ている屋台で、おでんしか無いが、其れで酒を飲んだ。
おじさんはアルミのような計量カップになみなみと酒を注ぎサービスをしてくれるが、ハッキリ言ってあまり良い酒ではなく美味しくない。
其れでも、何時も手頃だからと毎回屋台で飲んで帰る。
近いうちに、洋二は人の勧めである女性に会う事になっている。待ち合わせ場所を聞いていたのだが、うっかりして遅刻してしまった。
相手は、まあ、臨時の公務員とかで月並みだが夫と死別後、まだ大学生の次男と一緒に住んでいると最後に聞いた時、其れでは本当に再婚の意思はあるのかと思っても見た。
子供がいるのなら、其方の方が優先ではないかと思う。其れで、其の話はお断りをした。
どういう訳かあまり強い印象は残らなかった。子供が卒業してからでも遅くは無いだろうと思う。
帰り道に再び屋台で飲んで行こうかと思った。屋台も寒い中で、客は大抵自分しかいないから、此れで稼ぎは・・?など気にしてしまう。
再び社の部員と飲みに行くことになった。先日の紗耶に男性が二人だ。
男性の方はおそらく満更でもないような表情で酒を飲みながら彼女やもう一人の男性と話をしている。
或る程度時間が経ったところで、洋二は店主に皆の代金を多めに置き店を出た。
ホームに電車が入ってくる。毎日同じ電車に乗り、よくも飽きないものだと思ったりするのが、少しおかしいような気がする。
洋二は片手間に書き物をしていて其れが趣味だ。といっても大したものは書けないが・・まあ、自己満足というところだ。
当然ながら、何時もの屋台の映像が頭に浮かんだ。寄っていくかと思うより早く足が其方に向かっていた。
屋台は今日も貸し切りの様に他に客はいない。
おじさんとぼそぼそと話をしながら、あまり美味しくない酒を大盛で注いで貰う。
ふと気が付くと・・客が来た。
と思ったが・・屋台に近付いて来た顔を見て驚いた。
紗耶が・・どうして此処を知っているのかと思った。
「・・君・・良くここが分かったね?其れに・・あの連中はどうしちゃったの?」
考えてみれば彼女の帰り道は同じ方向だった。その割には一緒に帰った事がないから気が付かなかった。
「屋台なんて珍らしいだろう・・良かったら何かおでんでも摘まんで・・?」
彼女はおじさんに適当に見繕って貰うと、美味しくない酒をコップで飲み始めた。
「お見合い・・上手くいったんですか・・?」
洋二はそんな話をしたのかなと思いながら・・。
「何か、大学生の子供が一緒に住んでいるんだって?まだ・・早いかなと思ってね・・」
すぐに話題を変えた。
「君の・・彼等は置き去りにしてきちゃったの・・?」
「・・だって、また会社で会えるから・・伸ばしても良いかなと思ったりして・・?」
「ああ、其れはそうだけれど・・僕だって其れは同じじゃない?」
「・・お見合いで決まったのかと思いまして・・?」
「僕の事は・・どうでもいいんだけれど・・自分の事を考えないと?しかし・・良く此の屋台の事が分かったね?」
「この前飲んだ時に・・寄って行くかなって言ってから・・何処に?って聞いたら・・此処の話をしたじゃないですか?通り道だから・・すぐに分かりました・・屋台なんて案外面白いなと思って・・おじさんボケですか・・?」
もう一人のおじさんの手前うっかりした事は言えないが、あまり衛生的だとは言えず・・持って来た水で食器を洗い流したりするし、酒も其れなりだから・・居酒屋の方が良いとは思う。
まあ、今回の事はどうでも良いが・・?早くしないと・・婚期が遅くなるのが心配になった・・勿論・・彼女の事だが・・。
此処で・・作者は・・。
「紗耶は・・その後すぐに相手が決まり・・結婚のゴ―ル番を掛け抜けた・・」
と書こうと思ったが・・其れでは・・彼女の相手の観察眼をせかす事になるので・・あまり良くはないと思う・・。
それにしても・・彼女は其れからも屋台が気にいったのか・・居酒屋とあまり変わらないペースで行く事もある・・。
心配なのは・・こんな事何時までやっているんだろう?という事だが・・彼女は結構余裕のようだ・・まあ、美人だからかな・・?
其れから・・相変わらず・・時々屋台・・が続いている。他の連中には屋台の話はしないようだが・・まるで・・娘と顔を合わせているような気がしてならない・・。
屋台は季節により・・冬の方が流行るものだ・・とは言っても客は・・二人だけだが・・。
「行潦(みづたまり)も、つめたく、墨を流した様な黒々とした空を映したまま、この冬の夜を、何時かそれなり凍つてしまふかと疑はれる。」「芥川竜之介氏の文章に半分手を加えました。」