小説「京 綾乃と 2」「京 綾乃と 3」及びリハ無し・やり直しなし即興ライブ演奏「piano・E,piano」一曲更新します。

 

三部作より、本日は「京 綾乃と 2」及び「京 綾乃と 3」を掲載します。いよいよ綾乃が何方で、私が誰なのか・・。

 

「京 綾乃と 2」

 

    京都に行ってから一か月も過ぎた頃、綾乃の夢を見た。
 やはり、私の事を忘れないでいてくれたようだ。
 夢の綾乃は微笑んで、
「あんた、あたしの事忘れいでいてくれました?」
 と言ったが、私としては忘れる訳は無い、古からの友人というよりも永遠の恋人と言った方が表現としては正しいかも知れない。
 綾乃から古の出来事についてほんの少し聞いただけで、何百年の間に二人だけで無くいろんな人達を巻き込んでどんな事があったのか。
 今回、更に詳しく知りたいと思った。
 しかし、何故か、ひょっとしたら私がこの家に帰って来る事はもう無いかも知れないという気がした。
 過去に亡くなった自分が単純に生まれ変わって来たのでは無いと思う。
 輪廻転生という言葉は聞いた事があるが、私は輪廻転生では無い様な気がするのだ。
 今回の京都行きは、前回とは違う何かが起きそうな気がした。
 今回は使うかどうかは分からないが、一応パソコンの入ったバッグと簡単な衣服が入ったバッグを二つ持って行く事にした。
 今迄は、パソコンは大いに役に立ったのだが、今回は必要が無い様な気もした。
 前回と違い新横浜のホームは空いていた。
 今日は木曜日、ビジネスマンの姿が目立つ。
 指定席も取れたから二時間座って考えた。
「安部晴明でも現存していれば、何かしら、教えて貰える事もあったかも知れないが・・」
 綾乃と二人でただ会う訳では無い。過去の出来事迄遡りそれがどんな事だったのか、関係する人間はどんな人達だったのかを少しでも知りたいと思った。
 綾乃にある程度頼るしかないが、綾乃とて真相を全部把握しているのかどうかは分からない。
 そんな事を考えている内に京都に着いた。
 電車の時刻を綾乃に伝える必要は無い。綾乃との約束を忘れる訳は無いから。
「八坂神社の手前の西楼門で、朝、十時に。忘れいでね」
 兎に角、私は待ち合わせ場所の八坂神社の手前の西楼門に向かった。
 果たして、綾乃はこの前とはまた違った薄紫色の生地にに何かの枝とその間に蝶が待っている様な柄の懸衣(かけぎぬ)を着、微笑みながら四条通りを歩いて来る私の姿を見ている。
 やはり上品な京女性のままで、絵にも現わせない程の美しさは変らない。
 まるで平安朝がそこにあり、御門を待っている様な風情が窺える。
 私が楼門に近付きながら、
「やあ!時間は十分少し前だが間に合った」
 と言うと、
「丁度おす。お待ち申しておりました」
 と、笑窪を付け足した。
 私は綾乃と共に四条通りから木屋町の着物を商っている店に向かう。
 如何にも京都らしい店で、女将は綾乃の事をかなり前から、あたかも平安の時代からの知り合いであったように話しをしている。
 更に女将は綾乃を敬うような態を見せている。
 私は店内の椅子に腰を掛け乍ら二人の会話に耳を傾けていた。
 店は平安時代から代々続いて来たようで、女将も綾乃の事を「こんな方もいらしたよ。その子孫が綾乃というお得意さんだから大事にするように」と先祖から伝え聞いているようだが、まさか目の前にいる綾乃が千年もの時を隔て存在しているとは思ってもみないだろう。
 何とはなしに、綾乃はとんでもなく上級の貴族であったような気がするが、宮廷での御門主催の歌合や歌会などにも登用されていたようで、公の場に少しも臆せず次から次へと歌を詠み、自らの多才さをあますところなく披露していたというような事が語り伝えられているようだ。
 私はそれだけの地位にあったから、さぞかし政治権力を持つ男達との恋も多かったのではないかなど彼是思い浮かべる。
 それらの恋がさらに綾乃の感性を豊かにする共に、一層の才を育ませれば、時の頂点に君臨する女性としての地位を築き、人としての幅を広げ質を高めていったのではないかとの気がした。女将との会話の彼方此方にそれらを感じさせるものが窺える。
 綾乃は新しい懸衣(かけぎぬ)を注文したようだ。
 二人店を出ると四条のレストランで昼食をとる。
 綾乃が食事の合間に何処か行きたい所はあるかと尋ねる。
「そうだね、何となく東寺なんか行ってみたいと思うけれど・・」
 綾乃が微笑むと、
「やはり。あんたには想い出があるとこね。五重塔も好きなんちゃう」
 と言う。
 私は良く知っているなと思った。
「都の外れどすが、あんたはそのお寺の五重塔と仏像が好き言うてよういらしたのやで」
 確かに私はそこに何某かの未練を感ずるのだが・・。
 別名教王護国寺とも言われるこの寺の金堂は昔から多くの仏像が見られる事で有名だから、平安の私も此処に通ったのだろうかとも思う。
 心が穏やかになるような気がする境内を二人並び歩いていると、綾乃は思いもかけていなかった話をし始める。
「あんたは此処に来る時に女ごを連れて来とったのやで。うちと付き合う前の恋仲になっとった女性を。そら恋し合うとったんやさかい楽しかったやろう思う・・」
 私は、そうだったのかと其の様なさまを思い浮かべる一方、その女性とは一体誰なんだろうと綾乃に聞いてみたくなったのだが、この前京都に来た時に誰の名も聞かずが良いと言われていたのを思い出す。
 突然、綾乃がその女性の歌を詠んだ。
「いづかたのかざしと神の定めけんかけ交はしたるなかの葵を」
 次に此れを訳してくれた。
「いったい誰のかざし(挿頭)相手と賀茂の神は定めたのでしょう、互いに誓い合った仲の、今日の葵(逢ふ日)であるのに」
 歌集に伝わる恋のかけひきや、裏切りにまつわる歌の奥にはなかなか言い表せない本音がひそんでおり、葵を男女の「逢ふ日」と重ね合わせる事で恋の象徴と言えるという事のようだ。
 前回綾乃が詠んだ歌を思い出した。「あだっぽい言葉を交わすなど、まったく思いも寄りませんでしたのに、今、あなたが、女たちを残らずなびかせていると、まあ、花やかな噂を耳にしましたよ。」
 私は、王宮を中心として男女のやり取りが絶え間なくあったようで、関係は二重三重と広がっていたのかも知れないし、其々の人同士で火花を散らしていたのだろうかと思う一方、自らもそういう事に絡んでいたなど今となっては想像すらつかない事と言えると・・。
 綾乃が同じ歌人の歌をもう一つ詠み始めた。
 私は、つくずく綾乃は平安時代歌人だなと思う。
「ここながら程の経るだにあるものをいとど十市の里と聞くかな。
「ここ、都に居てさえ逢えない日々がつづき、距離があるところにきて、その上またどうでしょう、あなたはますます遠くに行ってしまうのですね」
 此んな歌を詠んだ女性が哀れだなと思い始めた私は悲しさを覚える・・一度は愛し合った仲なのだから。
 本当に自分に係る事だったのかと疑問に思ったりもする。
 その二つでさえ一人の女性の歌で、他にもいろいろ切なさを詠んだものがあると言うから其れは驚きだ。
 所謂、今でいう三角関係などざらにあったとの事。
 綾乃が、また明日にでも別の女性の歌を詠んでくれると言った。
 複数の男女が入り組んでしまっては係争が起きない方がおかしい。
 教王護国寺の仏像はその様な全てを見ていたのかも知れず・・。
 此処まで平安時代の私は、まだ一人の女性とだけ付き合っていたようなのだが、綾乃と愛し合うようになるに連れ、女性の方は内心・・次第に私の事を恨み始めると共に綾乃も呪い殺したくなったのだろうか・・結果としては私を殺めたのだが。
 そんな事を考えていると時空が歪み始めたのか、まるで時代劇の映画を見ている様な事象が起きた。
 不思議な事に、寺の境内に古風な京女の姿が見える。
 女の傍らには鎧兜で身を包み、刀などを携えた兵が何人も控えている。
 綾乃の話をした性が私の事を恨むようになり、手勢を連れて来たのだろうかなどと・・。
 私はおかしな違和感ばかりか恐怖を感じ、綾乃の手を取ると走って寺の外に逃げた。
 其処には且つての私の部下なのだろうか、やはり同じように武具を身に纏った兵がおり、追って来た軍勢と斬り合いになる。
 刀同士や金属がぶつかり合う音が静かだった境内に響き始める。
 なかなか、決着がつかないようだと思っていた時、金堂から四天王が飛び出して来たから更に驚く。
 木製の動かぬ仏像の筈・・と思っていたのだが、信ずる者を守護する、「東方の持国天、南方の増長天、西方の広目天、北方の多聞天」が、両者の間に立ちはだかると、私達を追って来た兵士達と、めいめい手に持つ武器で戦い始める。
 ひょっとしたら、高貴である綾乃は四天王を操れたのかも知れないなど・・。
 流石に四天王は強いようで、軍勢は散りじりばらばらになり逃げて行く。すると、女は着ていた十二単を次々に脱ぎ捨て始める。羽織の様な薄い衣のみになった身軽さゆえか、ひらりと宙高く飛び上がると五重の塔の上段に立っている。
 まるで怨霊にでも憑りつかれたかのように、真っ赤な紅の口を拡げお歯黒を見せながら不気味な形相で笑った後、再び宙に舞い上がると空に紛れる様に姿が見えなくなった。
 私と綾乃は恰も夢を見ていたかの様に顔を見合わせる・・が、互いの姿以外に辺りに潜むものなども・・何も窺えない。

 

 

 その時だった。いきなり現代のバスが登場するや、行き先表示は「伏見稲荷」と記してある。
 私は、今生の瀬戸際・・何処かに避難しなくてはならぬと綾乃の手を引きバスに乗らんと目で物言う。
 ところがどうした事か、綾乃は、初めて見るのだが、身を震わせながら、あそこは鬼門と言う。
 私が、どうしてなのかと聞くのだが、綾乃は、
伏見稲荷にと平安の世に詣でた時だったの。身分は卑しくも歌人としては有名だった男に危うく襲われそうになったから・・」
 と言う。
 どうやら、其の話を纏めれば、男は其れ以前から綾乃の事を好いておったそうで、
「いい加減、私に靡かんか・・?」
 と、綾乃に腹を立てると、部下に綾乃を囲ませ稲荷の境内の暗がりに押し込めるようにし襲う寸前まで・・と言う。
 その時、綾乃を守る臣下が慌て更に外側から囲むようにい並び構えると、相手方との間でかなり激しい争いになったようだ。綾乃は、臣下に守られほうほうの体で逃げ延びたと言う。
 伏見稲荷は全国の稲荷神社の象徴のようなものだが稲荷を狐が守っている。
 其れで、稲荷と言えば狐を連想させるのだが、伏見には白い狐を祀ったのか、白狐社というものもある。
 私は、前回来た時に綾乃が伏見稲荷に行くのを嫌った事を思い出し、そんな事情があったのかと・・。
 二人は近鉄京都線東寺駅から京都駅まで向かう。
 まるで何事も無かったかのように電車の中も街も現代のまゝだが・・二人は現代と平安の世の双方を生きぬいた人であるから、まるで、映画館に入ったり出たりしたかの様に俄かに時空が狂ったのかも知れない。
 その晩は祇園で夕食をとる事にした。
 前回と同じ様に、その晩は豪華な個室と京料理が二人を迎えてくれた。
 四条通りの喧騒も聞こえてこない、二人だけの寛いだ時間を過ごす事が出来た。
 綾乃は、もたれかかるように膝を崩すと、また、あの何とも言えない良い匂いが漂って来た。
 私は、ビールを飲もうとしてグラスを持ったが、綾乃の事が心配になり聊か血色の悪そうな顔を見て言う。
「二人には何か訳の分からない出来事が次々に待ち受けているようだな。だが、私が付いている限り君の事は何としてでも守り抜く」
 と安心をさせようと思ったのだが、考えてみれば、京の事は綾乃の方が詳しい。増してや、平安時代の事まで覚えている訳だから、自分では頼りないのかなとも思う。
 綾乃はそんな私の胸の内を知ってか知らずか・・笑窪を見せ。
「あんた、今日はいろんな不思議な事があってけど、心配しいひんでもいけんで。うちは、あんたを愛してるけど、今に始まった事ではあらへんのやさかい。現代まで無事生き抜いて来れたんやさかい、あなたの事は守って見せるし、二人そろうとったら何とかいけるやない・・」
 二人でいる時には何も起こらなくとも、現代と過去がずれ込んだ時にはどんな事が待ち受けているかは何とも分からないのか・・。
 現代では、何も問題は起きない。
 しかし、平安の世が絡んで来るとなると私も少なかれ不安を感じるのは・・其の記憶が無いからだ。
 そんな私の胸の内を知ってか知らずか綾乃はあの時とは打って変わり落ち着き払い、美しい京女性の姿を取り戻しており、お酌一つにも、まるで私が御門かの様な物腰だ。其れで私は平安の都にいる様な錯覚を覚えるのだが、まだ半身半疑なのは記憶が中途半端・・。
 京料理の美味がそんな気持ちを加勢する様に落ち着かせてくれた。

 

 


 今回は、ホテルは取って無い、綾乃もそのつもりだと思う。
 四条通りを並んで歩いて、地下鉄に乗った。
 嵯峨野の住まいに着いて寛ぐことが出来た。
 平安時代の蚊帳の様なものは、高貴な人の寝所にある几帳と言われた帳の様なものであったようだ。
 寝所の周りには、屏風もあり平安時代の絵巻の様なものが描かれている。
 それは立派な屏風で王朝辺りの様子が窺える。
 やはり、綾乃は王朝の人間であったのだと思ったので、
「御門と何か関係など・・?」
 と言ってしまってから聞かない事になっているんだったと。
 綾乃は、自らの横に寝ている私に囁くように薄紫の空を揺らすと。
「あんたは御門にも匹敵するほどの地位がある即ち身分やったのや。あの当時は高級な公卿は御門よりも実際には力があってん。表向きは御門やったけど、実権は最高級の公卿が握っとって、あんたは正に一番権力があったちゅう事やで。うちも御門に使えるおなごの中では最高級の公卿やってん。やけど、うち、あんたに恋するようになったのはそないな理由ではあらへん、ただ、愛しさしか感じへんかったさかい。どすさかい、並み居る歌人の歌もうちやあんたの前で詠まれたのやで。うちも歌人の一人やったけど、後でお話しする式部のお話も、何人もの歌人の歌も知ってるのんはそないな訳なん」

 

 


 翌日は、再び京の街を廻る事にした。
 一つだけ、白い狐が出て来、綾乃を襲うのでは無いかと言うような夢を見たのが気掛かりだった。
 しかし、あの晴明の母も葛ノ葉狐だったという。
 同じ狐でも、伏見の稲荷の狐とはどんな関係であったのかと思った。
 私は、綾乃に、
「今日は何処に行こうか?君の方が詳しいからおかしな話だけれど、君だって気に入っている所はあるのでは?」
 と、尋ねた。
 綾乃は高級な公卿だった当時の事を時々思い出すようで、食事をした後、
「昔、内裏があった辺りを歩いてみたい、何とのう落ち着くさかい」
 と、前回も行ったのだが、今でいう千本通りから北に向かってゆっくり上る。
 承明門跡や紫宸殿、清涼殿跡名護を廻ってから桜宮神社に詣でた。
 紫宸殿と清涼殿の跡では、綾乃は拝むように暫くそこを離れなかった。
 御門にゆかりのあった館である。
 おそらく、綾乃はその辺りで最高級な暮らしをしていた事を思い出しているのだろう。
 また、時空が狂ってきたのか、空に平安の大内裏の光景が揺らめいている。
 貴族達の間に御門がいて、更に、そこから遠く無いところに、綾乃にそっくりな十二単を着た女性と私の姿が見える。
 宮廷は、大勢の人々で賑やかなようである。
 どうやら、御門や法皇主催の歌合や歌会の様なものが催されているようで、其処に綾乃と私も加わっている様に見えた。
 ところが空間が一層揺らいで見えた時人の動きが激しくなった。
 何か、あった・・?
 何人かの人が揉めているような風にも見える。
 都の空が暗くなり北西から黒雲が現れた。
 これは一大事でも起きるのかと思った時、綾乃の顔が華やいだ。
「あら、晴明様ではあらへんかいな?」
 晴明が現れると争いはおさまったようである。
 晴明は、孝元天皇の皇子、大彦命の子孫であるとも言われている。
 朱雀天皇から村上、冷泉、円融、花山、一条の6代天皇の側近として仕えていたとも聞いているから、宮廷にいたとしてもおかしくは無い。
 晴明は綾乃に近付いて来る。
「あなた方、狐の事で何か心配事でもおありですか?狐は私にまかせて下さい。それよりも、結界が崩れる様な事があれば、私が十二天将を操る事もありますが、狐は、私の力には到底及ばぬ事を分かっておりますから、あなた方に危害を加える事はありますまい。しかし、千年の時を三人で行き来する事になれば、怨霊や魔界のものが飛びだしかねません。その時は、十二天将式神の登場となります。私が十二天将を勢揃いで使う事になるやも知れませんが・・」
 流石に、人離れした晴明には、いろいろ、見た事、いやそうで無い事でも分かる様だ。
 私は私と綾乃が知人の中でも晴明とは懇意にしていたという事が何となく分かった。
 陰陽師とし活躍していた時代では、恐れ無き人であった晴明が付いていてくれた。
 しかし、何か事が起きなければ晴明も現れないだろう。
 私は昨夜夢を見た白い狐の話をしたが、綾乃が、
「気休めに、晴明神社に詣でて行きまひょ」
 というから、私も神社を拝むついでにお守りを買った。
 遅めの昼食を取る。

 

 


 綾乃が、晴明と式部の話をしてくれた。
「晴明は紫式部と仲が良かった様で、式部は晴明を師として尊敬していたと言う。
 紫式部は、
『うちは、魑魅・物の怪・生霊・人妖・地妖・天妖といった異形の世界の者達に興味があるのやで。できるなら、安部晴明様にお頼みし異形の世界に連れて行っていただきたいものやわ』
 などと話しかけた事があったという。
 東山の阿弥陀ケ峰の女竹の藪の深みの晴明の庵は、幼い式部の夢想を育てるには、とびきり上質の刺激に富んだ環境だった。
 不意に、式部は立ち止まると、霧の深みを吸い込むように見つめた。
 濃紫の立烏帽子をいただき、萌黄の直衣をまとったその顔は、目鼻の冴えがみずみずしく、戦慄するばかりの清らかさであった。伽羅の香がほのかにただよってくる。
「安部晴明さま」
 式部は放心したように呟いた。晴明の足元から二頭の銀狐が踊りだし、式部に体を摺り寄せてきた。晴明は眼の淵に親密な笑みを宿しながら、諭すように言った。
『そなたは、蔵している才能の開花を待つことだ。そなたは、王朝時代の貴族の生活を後世の人々に伝える役割を担っている。それこそが貴女に与えられた天からの使命と知られよ』
 安部晴明は、紫式部と輝く未来について話を交わしていたという」

 

 


 その晩、再び私と綾乃は、祇園の料理屋に向かった。
 昨日とはまた異なるが、落ち着いた高級な料亭だ。
 個室に入ってから、美味しい京料理を摘まみながら綾乃が歌を詠んでくれた。
 昨日、約束した様に平安時代の男女の恋愛の縺れから、殺人事件まで起きた事を話してくれた。
「こないな、歌を詠んだ女性もおって、昨日の争いに巻き込まれた事もあったのやで。三角関係どころで無おしてね」
「逢うことを息の緒にする身にしあれば絶ゆるもいかが悲しと思はぬ」
「あなとの逢瀬のひと時を、命つなぐ糸にしている我が身であるので、あなたに逢えないのならば、命が絶えるとしても、ちっとも悲しいとは思わない」
「この女性は、他にもええ歌を詠んでるけど、やっぱし、男女の関係に巻き込まれて命こそ助かったさかい、良かったけれどね」
 二人が話している間に、空間に浮かんでは微笑んでいる晴明の顔が見える。
 やはり、綾乃も晴明とは懇意にしていた知り合いだったのだから。
「晴明様がわざわざおいで下さったんやわ。私達の事をきっと守ってくれるやろう」
 その時晴明の笑顔が喋りかけた。
「狐とか、あなた方は気にする必要はありません。私とあなた方は宮廷の中で付き合っていたのですから。御心配無く」

 

 


 私は、綾乃にどうして、八坂神社の手前の西楼門で、何時も待ち合わせなのかと尋ねた。
 綾乃は悲しい顔をし。
「あそこで、嫉妬した女性にあんたは殺められたの。うちと逢引きをしてるのを嗅ぎつけた、元、あんたを愛しとった女性にね。
 うちん警護の人達女性を抑え込む前に、あっちゅうあいさに刺されとってん。うちは、倒れてるあんたを何として生き返らせようとして、その後、八坂神社にお参りするようになってん。ほんで、或る日、神様からのお告げがあってん。
 あんたがうちに会いに来てくれるって。うちは、わしが死んでもええさかいあなたを助けたかってん。それがほんまになった。もう、うちにはこれ以上の幸せはあらへん思う。何時までもあんたといられるなんて・・」
 私は、綾乃にその女性が自らの命を絶ったと聞いたけれど、その墓は何処にあるの?と。
 綾乃は一層悲しそうな顔をすると、
朱雀門の近くのお寺に・・。歌も上手かったけど、男性との付き合いも多う、あんた以外にも五人の男性と恋仲になったらしおす。尤も、あんたの事を一番恋しとったらしいけど。お参りにでも行ってみよか、二度と恨んだ姿は見とうあらへんさかいね」
 綾乃と私は墓参りをした。少なくともその女性と私は、一時と雖も恋仲になったのだから、私としても見捨てるつもりは無かった。
 ただ、類稀なる美しさを持った綾乃との恋が勝っていたから、当時の私としてもどうしようも無かったのだろう。

 

 

 二人で店を出て、四条通りを歩いて行く。

 

 

 私は、京に住む事になった。
 嵯峨野の住まいは私が千年の間待ち望んでいた、正に、綾乃と離れる事が無い安らぎの場であるのだ。

 


「待ち合わせ場所は、もう必要はななったわね」そう言った綾乃の横顔が、一段と高貴な雰囲気を醸し出していた。

 

 

 千年の時を越え、二人の恋は続く。何時までも、此れからも、京の都を二人で歩き回る事だろう。
 私は綾乃にまだまだ教えて貰わなければならない事が山程ある。
 だから、二人の京を千年跨いだ出来事はこれ以降も続く事になる。
 私どもだけでは無く、晴明も付いていてくれる。
 今後、結界が破れるような事はまた、頻繁にあるやも知れぬ。
 その時が来る事は、薄々予感が・・。
 そんな時は三人で千年を行き来する事になるだろう。

 

 


 もう、四条通りの灯りが、瞬いて空は真に黒く、外気はまるでよく磨き込まれた鏡のように古都を映していた。

 

 

 朧月は、夜を薄絹で包んだように、ぽうと光っては・・綾乃の千年前の姿のような清楚で上品な姿を浮き上がらせていた。

 

 

 

 

「京 綾乃と 3」

 

京都に住んでから知人に会う為東京に。
 綾乃には東京で旧知の小説家に会うとは言っておいたが、意外に作家北との話が長引いてしまい気が気で無かったら・・やはり綾乃の夢を見た。
 待ち合わせ場所はやはり・・「夢で申しますが、八坂神社の手前の西楼門で、朝、十時に。忘れいでね・・」。
 四条通りを河原町通四条大橋を越え花見小路まで来たら、西楼門で綾乃が微笑みを浮かべ此方を見ていている姿が・・。
 通り掛かった舞妓が二人を見て頭を下げていく。綾乃はこの辺りでも顔が知れているからだろう。
「待たせて御免・・」
「まだ早いくらいやさかい、そないに急がへんでも良かったのに・・」
 綾乃が馴染みの店に寄って行くから木屋町のカフェで待っていてくれという。
 教えて貰ったとおりカフェの自動ドア―を開けると、和服姿の店員がお待ちしていましたと席に案内する。琴の音が流れる洒落た店のゆったりとしたソファに包まれるように身を沈める。
 宜しかったらこんなものでもと店員が雑誌を持って来たから、手に取り如何にも京都らしいセンスの良い表紙を眺めたが小説などの文芸誌だ。
 何もかも手配の良いのは綾乃の顔なんだろうと思う。何枚か捲ったら北の顔写真が現れた。私は今回北に会いに行った用件を思い出しながら更にページを捲っていく。
 京都版の特別な雑誌などあるのだと感心しながら、其れでも北の作品紹介があるのは奇遇だなと思う。小説だけでなく詩歌なども載せてある。
 歌については綾乃に聞いてみようと思ったが、幾つかの歌の中に小野小町作と記載されたものを見つけた時には、その必要も無いような気がした。
 平安の都の歌は恋愛感情を詠んだものが多い。果たして、それ程男女の仲が複雑だったのかと思うが、自分もそれらの渦中の人物だったと聞かされているから満更他人事とも思えない。
 それにしても、自分も何某として歌を詠んでいたのだから、その模様など何かしら綾乃から聞く事が出来るのではないかとも・・。
 北の小説は、雑誌が京都版だから京都や奈良についての作品を取り上げているが、彼自身、勿論古都につき格別の関心を持ち合わせている。
 東京での話の内容は彼が京都にやって来、綾乃をモデルに作品を書きたいと考えているという事だ。
 綾乃との経緯については大まかな説明をするに留めておき、此方に来た時に詳しくと話してはあるが、察しの良い彼の事だから言外に何かを感じたのかも知れない。
 丁度雑誌を読み終えた頃に自動ドア―が開いた。
 綾乃を見た時私はまた別のイメージを感じたのだが、季節が変わる毎に彼女の姿も其れにあわせたように艶やかに変わる。
 新しく浴衣をあつらえたようだ。着物の似合う彼女だけに和服はお手の物という事なんだろう。私も京の人間になったからには和服をと思ったら、彼女が私の分も揃えてあると言う。
 サイズなどはどうなんだろうと思ったから其れを尋ねた。
「あんたとは長い付き合いなんどすさかい、なんも言わへんでも分かっとる」
 其れもそうだなと思い、いや、私の分までとは悪かったねと言うと、綾乃は微笑みながら、この後店に寄り貰っていきましょうと言う。
「そうだね。ところでまだ話して無かったが、東京の作家が君をモデルに書き物をしたいという事になってね・・良かったかな・・?」
 綾乃は微笑んだまま。
「うちの事やら書いて役に立ちはるんやろか・・私はいっこもかまへんけど・・」
 考えてみれば、綾乃の美しさに北の一文の味わいとなれば、似合わない訳はないなと思う。 
 テーブルに置かれたままの雑誌を手に取ると先程の歌のところを開き、詠まれている歌を見せ綾乃の表情を窺うが・・どんな反応が期待できるかと・・。
「いややわ恥ずかしゅうなる。其れはあとでいな、まだ明るいうちよりは夕ご飯の時にでも・・」
 と、綾乃が紅の口に白い手の甲を添える。
 コーヒーカップが空になった頃二人はカフェを出た。
 途中、店に寄り片手に荷物を持つと歩き出す。

 


 先ずは、私が山科から随心院に行ってみようかと持ち掛けた。
 山科に近付くに連れ、綾乃が懐かしそうな顔をする。
 やはり、山科が小町にゆかりの地なのかと思う。
 続いて随心院まで行く事にした。
 此処は小町伝説で一番有名な、九十九夜・百夜通いで有名な「深草少将」伝説の舞台となった地。
 小町が此処に住んでいたとされていて、小野小町を慕い少将が九十九日通い詰めたと言われている伝説の地。境内には深草少将を含む小野小町あてへの手紙が千束収められていると伝わる文塚、小野小町が化粧に使用したとされる化粧の井戸などがある。
 小町を慕っていた少将は九十九夜目・百夜目に願いが実らず此処で倒れて息を引き取ったとされている。
 小町は少将を好いてはおらず、百日通いをさせたと言う説もある伝説の地である。
 私が其の話をしたが、綾乃はとんと覚えがない様子だ。この地に住んでいた事は何となく懐かしがっている事から、どうやら住処があった事は本当の様でもあるが、少将の伝説は後世に世阿弥などの能作者たちが創作した逸話のようだ。
  

 


 地下鉄を降りた頃には茜色の夕闇が迫っていた。
 綾乃は、そろそろ晩にしましょうかと言い、鴨川の畔の料亭に案内してくれた。
 鴨川の畔の料亭で、二人が店に着く前に女将が顔を出し迎えてくれていた。何時も思うのだが、私達の行く先行く先と人々は何もかも知っているかのように労ってくれる。
 閑静な個室に案内して貰ってから女将に山科に行って来た事を話したら、一度綾乃の顔を見る様にしてから口に手をあてながら笑いだした。
「ひょっとして少将はんの事どすか?其れやったら、能のお話で面白おかしゅう作った言われてます。京では皆知ってる事どす」
 という。
 女将は、今、すぐにお持ちしますと言い奥に・・。
 綾乃の事は都中で知っているようだが、やはり千年の昔からの言い伝えなのだろうか、其れであれば腑に落ちない事も無い。
 何せ、絶世の美人なのだから・・。
 間も無く料理などが、四角い大きなテーブルの上で二人を眺め始めたように並ぶ。
 見た目だけでも楽しませてくれている色取り取りの料理は食するには勿体ないような気もするのだが。
 きっと、厳選された食材を用い京都風に鮮やかに仕上げたのだろう。
 膝を崩し楽な姿勢になった綾乃が、早速私の手にした小ぶりのぐい飲みに酌をしてくれ、私もお返しに綾乃に酌をする、気持ちが良い程一気に飲み干している間に二人のペースは同じになった。
 料理にも詳しい綾乃が先ずはどれから先にと説明してくれ、私の箸は言われた通りに料理を摘まめば其々の美味を堪能できる。
 綾乃の真白き顔がほのかな紅を帯びてくる頃、約束通り一つ歌を詠んでくれた。
「花の色は移りにけりないたづらに我が身世にふるながめせし間に」
 此れは、正に、小町が素晴らしく美人であったことを窺える有名な百人一首の歌だ。
 私は、自分が一体誰だったのかが分からないからと、謎かけをしてみる。
 小町が歌を贈った相手とし三人の男性がいると言われているが・・それと私は一体・・。
 綾乃は微笑むと。
「千年前の事どすさかい、何やら、いろいろ言われてるようどすが、真実は、うちにしか分かりまへん」
 では、一体、私は誰だったのかと・・綾乃の瞳を期待するように覗き込む・・君にしか分からない事だとすると・・。
「うちが貴方の事をほんまに愛していた事は間違いおまへん・・其れで・・その名は・・?」
 私は身を乗り出すように、「その名は・・」。
 綾乃は私の目を見ると。
「うちがほんまに愛した人ん名は、うちしか・・今の世では誰も知らへんどっしゃろ。私は愛さればこそ幸せやったの・・それがあなたは、他の女性の恨みを買い・・ちゅうのも前にお話しした通りおす。その女性とつきおうていたのに・・私と互いに愛し合うようになってもうたさかい・・」
 と、綾乃は瞳の奥まで懐かしそうに・・。
「以前二人でその女性の墓参りを致したさかい、怨霊もいっぺん手ぇかけてもうたあなたに、再び憑りつきはしいや・・」
 私が、自分の名を聞けないと一瞬沈んだ表情を浮かべた時、綾乃は・・、
「実は歌を詠んだのは六歌仙ではなおし・・もう一人おうた、それが貴族の長であらしたあなた・・」と。
 私は思う。千年も前の事。綾乃とこうしていられ、綾乃は私の事を限りなく愛していてくれる。其れに、私を殺めて自らも命を絶った女性の事も憐れならば・・名を知らずして・・其れで充分ではないか、綾乃はそのあたりを全て承知の上で・・私を傷つけまいと・・其れは、有難い事だと思うが。
 ただ、六歌仙の筈が更に七歌仙だったとは・・今では誰も信じないだろう。確か、小町と歌を交わした相手は三人となっている。
 その内、在原業平は随分女遊びで有名だが小町は近付かなかった。そしてもう一人も、三河迄一緒に行かないかと小町を誘ったのだが小町ははっきりと断っている。更に、一人には気にも留めなかった様で、あくまでも歌を詠む会で親しくなったと、今はそう言われている。
 そうなると、貴族の長でありながら密かに歌を詠みあい、小町と恋仲になった人物が人知れずいた事になるのだが・・。
 貴族の長であれば、当時、最も権力があったのだろう・・。

 

 

 其の時、スマフォが僅かに振動した。
 作家の北からで、明日京都に来るつもりだという。
 そうなれば綾乃をモデルにし、素晴らしい話を語るべく・・。

 


 其の晩嵯峨野の庵に到着する頃時空が歪みだした。
 私は、綾乃と共に千年の昔に戻っていった。
 江戸の世に尾形光琳が描いた『三十六歌仙図』を持ち出したような光景は三十六歌仙の歌会の真っ最中であるが・・二人は宙に浮かび其れを見ている。
 其の中に小町がいる筈だが姿が見当たらない。
 綾乃が此処にいるから小町が姿を現さないのかと思ってみたりもする。
 三十六歌仙と言えば正月の百人一首を思い出すのだが、一部屋の中に皆揃い所せましとばかりに熱心に歌を詠んでいるようだ。
 しかし、江戸の世の光琳の描いたものは、時代が異なる者を混ぜて実際には同じくして歌会に出ていた様に描いているとも思われ、何処までが真実なのかは分からない。
 綾乃が其の中にいる二人の素性を説明してくれた。
 清原元輔と言う人物を指し示し、あれが清少納言の父親だと言う。小町と別の時代に生きた清少納言の姿が浮かんできそうだ。
 更に、綾乃が在原業平を暫く見つめてから、六歌仙であり料亭で話をした人物である事を話す。私は歴史上小町と歌を交わした三名のうちの一人に嫉妬の様なものを感じた。
 というのも、頗る美男であるから、しかも、年代も小町とほぼ同じ時期に生きていたとされている。
 業平は其の美男故に近寄ってきて関係を持った女性が三千人とも、確か伊勢物語に書かれていたような気がするが、其れも誇張とはいえ満更嘘とも言えなく女遊びにうつつを抜かしていたのだろう。
 此れだけの美男であり、しかも六歌仙でも同席し年代も同じだと聞き及べばあるまじきか?・・と私がそう思うのも当然だろう。
 一説によれば小町は歌は交わしても、はっきりけじめをつけ物申したとなっている。綾乃は、そんな私の顔色に気付いたのか口元をきりりとさせ。
「あの男は女狂いで名を売ったほど。あたしは、いずこの女性にも鼻の下を伸ばす様な殿方に興味を示す事はおまへんから・・」
 そう言われれば、小町は世界の三大美女とまで言われているほどの美女故、並みの興味は示さなかったと申してもおかしくはないのかと思う。
 まあ、綾乃の言葉に嘘は無かろう。
 三十六歌仙の中にひょっとしたら、自分も混じっているのではとも思ったが、綾乃からそういう事は聞いていないから少しは気が楽になった様な気がする。
 問題は、三十六歌仙で無く六歌仙以外にもう一人の人物が誰なのかという事だ。歴史など真実ばかりを後世に残している訳では無いのだから、暫し、宮中などを廻ってみたいと思う。
 以前、スマフォで調べた折に、小町の生きた年代は定かでは無いから、おそらくであるがほぼ同年代の「謎の人物」がいた筈・・。
 何れにせよ綾乃が三十六歌仙に興味を示さなかったとは、事が一つ前進したような気がする。
 以前調べた中で権力があった人物となればそれ程多くは無かったような気がした。只、史実は今となっては分からないから、意外な人物がそうなのかも知れない。
 例えば、現在では把握していないような者で実際に権力を持っていたり、年代がかなりズレていた可能性も大いにあり得る。
 当時最も権力があった人物は、藤原では北家の系統の藤原基経で、史上初の関白となった人物。
 小町の生没は定かでは無いが、大体は、先程の在原の業平と同じ生まれとなっている。基経は更に十五年程後に生まれているという事になっている。
 基経の先代となると、謀略に長(た)けた藤原義房で摂政の身で、娘を天皇の皇后にさせている。
 そのあたりで人物が決まった様な気がするのだが・・。
 実際に現代では存在しないとされている人物である。
 つまりは、歌を詠む事に関しては二枚目の業平だろう。
 権力では基経という事になる。
 此処で、私は基経の史実を顧みる事にした。
⦅藤原 基経(ふじわら の もとつね)は、平安時代前期の公卿。藤原北家中納言藤原長良の三男。摂政であった叔父・藤原良房の養子となり、良房の死後、清和天皇陽成天皇光孝天皇宇多天皇の四代にわたり朝廷の実権を握った。陽成天皇を暴虐であるとして廃し、光孝天皇を立てた。次の宇多天皇のとき阿衡事件(阿衡の紛議)(宇多天皇は先帝の例に倣い大政を基経に委ねる事とし、左大弁・橘広相に起草させ「万機はすべて太政大臣に関白し、しかるのにち奏下すべし」との詔をする。関白の号がここで初めて登場する。基経は儀礼的にいったん辞意を乞うが、天皇は重ねて広相に起草させ「宜しく阿衡の任を以て、卿の任となすべし」との詔をした。阿衡とは中国の故事によるものだが、これを文章博士藤原佐世が「阿衡には位貴しも、職掌なし」と基経に告げたため、基経はならばと政務を放棄してしまった。
 問題が長期化して半年にも及び政務が渋滞してしまい宇多天皇は困り果て、真意を伝えて慰撫するが、基経は納得しない。阿衡の職掌について学者に検討させ、広相は言いがかりである事を抗弁するが、学者らは基経の意を迎えるばかりだった。結局、広相を罷免し、天皇が自らの誤りを認める詔を発布する事で決着がついた(上述の阿衡事件)を起こして、その権勢を世に知らしめた。御門(天皇を更に敬った名称で天皇に同じ。)よりも藤原氏が強いとしたのは基経。天皇から大政を委ねられ、日本史上初の関白に就任した。これ以降藤原氏が関白を勤めるが、基経から五代後の藤原道長は関白では無かった。更に、関白となった者は藤原氏以外では豊臣秀吉まで歴史を飛ばさなければ見られない。平安時代の華々しく朝廷を賑わせた藤原氏の繁栄。それを加速させた人物が藤原基経であり、その五代後が藤原道長となる。事実上、平安時代最強の男といっても良いだろう。此れに絡み、菅原道真も登場するのだが、其れは、上述の阿衡事件により藤原氏の権力が天皇よりも強い事をあらためて世に知らしめる事になった。(上述に同じ。)これを所謂「正式の関白就任」と呼ぶ事もある。基経はなおも橘広相流罪とする事を求めるが、菅原道真が書を送って諫言して収めた。この事件は天皇にとって屈辱だったようで、基経の死後に菅原道真を重用するようになる。⦆
 つまりは、二人をあわせたような人物がいた事になる。
 影武者の逆の様なものだが・・基経を超える遥かな人物と言われてもおかしくはない事になる。
 では、其れは誰だったのだろうか・・?
 綾乃に、君の好きだった相手の正体が大体わかってきたと言う。
「あんたも頭が宜しいやさかい、やっとわかってくれましたか、そやし、名はあたししか知れへんという事になってます。あんたの名は今の名どす。澄夫、つまり藤原澄夫・・あんたは実際には基経と同じ権力を持っていて、尚も業平と同じ様な二枚目で歌が詠めたと言うたら如何思うて・・?」
 そんな人物は三十六歌仙にも六歌仙にもいない訳で、尾形光琳の描いた絵の中には見られないが、光琳は江戸時代の人間だから、絵はごちゃ混ぜでいろいろな人を勝手に想像だけで描いている事になる。
 歌だけは存在しないとおかしな事になるが・・。
 綾乃は、掌を口元にあてるとそっと息を吐きながら。
「そやし、あたしは業平は好きで無い理由は出鱈目そやしどす。伊勢物語のおなごを三千人というのも考えてみればあり得ない事でしょう?業平の歌はあんたが詠んだ歌が如何にも業平が詠んだ様にされとるだけどすよ・・つまり・・あんたが詠んだ歌は業平の歌と同じ物がある。そやけれど、あんたはそないなに歌については返してこなかった。殆どはあたしが一方的にあんた宛てに詠んだのどす・・」
 貴族の中から、自分を探しに行く事にした。
 突然、晴明が何処からともなく現れると案内してくれた。
 時代そのものが本のページを捲るように風景が変わっていき、晴明が指で指し示したのが藤原の澄夫だと言う。
 関白として権威を奮っていた、基経よりは大人しそうな感じに見える。
 晴明は間違いなく関白の貴方だと言う。
 晴明が言うには、長い間に人の言い伝えなど宛にならなくなってしまうものだと言う。実際に晴明が生きていたとされる時代は小町は存在しないし、晴明を慕っていた紫式部にしても和泉式部清少納言も同じ時代とは言えない程年が離れすぎている。
 晴明でこそ何時の世にも現れる事が出来るのが、晴明が超人である証拠。
 晴明が、自分の例を挙げて、貴方が史実では違って解釈されている事も何となく分かるでしょうと言う。

 

 

 

 

 晴明が念じてくれて、二人は嵯峨野の庵に着いていた。

 


 庵で二人が横になってから、綾乃が、
「明日、晩になってからあんたと私の歌を詠んで見せます」
 と言い、私が「夢の歌人」と呼ばれているのも、私の歌が夢のような事ばかり詠んでいると言われているのも、そんな事情があるからでしょう。実際にあんたと言う方がいたから、あんた宛てに詠んだ事が、夢だと言われている。其れと、あんたが他のおなごと良い仲になったと言うのも、納得できるでしょう?貴方は二枚目でモテたから。でも、私に近付く殿方は、私は好きで無かったから、あなた以外にいなかったのです、互いに愛し合う事が出来たのは、そんな訳があったからです・・」
 私は、晴明と言え、綾乃と言え、寧ろ本当の事を言っているのだと確信できた。
 添い寝をしてから、世界三大美女の身でありながら、はにかむ綾乃が余計に可愛らしく感じられた。
 二人は、あっという間に、共に、眠りの底に辿り着いていた。

 

 

 翌日、北から連絡が来て木屋町のカフェで待ち合わせをした。
 先日、綾乃が出掛けた間に私が待っていたカフェ。
 綾乃を北に紹介した。
「綾乃と申します、どうぞ宜しゅうお願い申し上げます」
 北は、一瞬眩しそうな表情をし・・綾乃を眺めるようにしてから目で挨拶をし、私達の向かいの席に座っていたのだが、暫し間が開いたから、私は横のラックから先日の京都版の冊子を取り出して見せた。
 北は、ほ~う、と、言うと暫しページを捲っている。
 自分の紹介が載っているのを見て笑い出した。
「本人が見ても恥ずかしいもんだな・・」
「ところで、北先生は綾乃をモデルにして何か小説でも・・?」
「うん、綾乃さん、やはり君の話のとおり・・十分に小説にはなると思ったんだが・・只のものでなく・・歴史物と現代を混ぜて・・と思っているんだが・・」
 北がコーヒーを飲んでから、此れはなかなか美味しいね、まあ、京まで来たんだから、夜は何か美味しいものをと・・。
 ああ、其れはそのつもりでいますから、ご心配なく。
 晴明の話もしたら、其れも何か物語に加えられそうだと言う。
 北は、コーヒーカップをテーブルに置いてから、タブレットを取り出して何やら調べ物をしている。 
 北は、店に入るなり綾乃の美しさに驚いていたのだが、機嫌が良くなったのもモデルにするには、それなりのイメージが湧きやすい方がという事で、北のお眼鏡に叶ったようだ。
 物語だから、書き手が如何様にも出来るとは言え、北程の大先生になれば其れなりのストーリーを考えているのかも知れない。
 北には千年の事は話をしてある。其れは綾乃だけでなく私にとっても同じ事で、以前、時空が歪んだ際に東寺で起きた出来事(二話に記述。)も話をしてある。
 其の時に晴明が現れてくれた事も。晴明については最高の陰陽師という事で北も良く知っているから、何処で何時晴明が現れてもおかしくはないと了解をしている。
 北がタブレットをしまって三人で取り敢えず京の都を散策しようという事になった。北にとっても久し振りの京都だった様で観光を楽しみにしている様だった。
 先ずは、北の希望で、バスと地下鉄のフリー切符を購入する事にした。京都は一か所だけならまだしも幾つも廻れば渋滞に引っ掛かる事も、増してや夕方や朝は車が繋がって動かなくなる。
 元の藤原氏の屋敷跡が幾つかある辺りを通り、北野天満宮の辺りでバスを降りた時だった。
 時空が歪み始めている。俄かに暗くなってきた時。晴明の顔が現れた。綾乃も何かを思い出している様だった。
 晴明が話し始める。
「応天門の炎上(応天門の変)により事件は基経に不利のようだったのが、基経は養父義房に相談をし、その尽力により基経は無罪となり、結局中納言を拝するようになった。更にその後の阿衡事件(あこうじけん)により、基経は宇多天皇(うだてんのう、867 - 931年)との間で起こった政治紛争であるが、菅原道真が基経宛にこれ以上争う事は藤原氏の為にならないと書を送り、基経の怒りがおさまった。この事件により基経は藤原氏の権力の強さを世に知らしめ、天皇は事実上の傀儡であることを証明した・・」
 此れを聞いていた綾乃は、私の顔を見ながら言う。
「やから、あなたは、貴族やて天皇より力が強かったと、うちがえらい前お話どした通り、天下を取る身にならはったのどす。うちは其れを見てやはったから・・あなた・・と言うても・・基経は寧ろ影武者であなたが実質的な基経やったんどす・・」
 そう言われて、実感として・・事実上の天下を取った貴族・・が、自分だとの記憶が蘇っては・・半分程度、其れでもそんな事があったかのような体感は残っていたようだ。

 

 

 北は目の前で晴明が話し、綾乃が付け足した事について、綾乃を主役とする、私と綾乃の恋愛をストーリーにしようと考えているような気がする。
 小町の事については、歴史上不明な事が沢山ある。逆に言えば、綾乃が主張する私の権力と地位には直接関係無く、綾乃が私を愛していた本当の事をテーマに持ってこようというようだ。 
 そう考えている時、目の前にバラバラと基経の家臣らしき武装した集団が現れた。基経からの依頼に相違なく、自分が影武者では無く、私が影武者だと決めつけ暗殺をしようと計画か・・?
 此れに、私と歌で知り合った女性が絡んでくる。女性は私との仲が次第に離れていき綾乃を恋するようになったことに殺意を抱いた。しかし、現代に於いては女性を憐れみ墓参りにも行っているのだから、何も因果関係は無くなり応報は消えている。
 結果的には私はその女性に殺害されるのだが、其れに基経の陰謀が絡んでいて、私の死が、歴史上では基経が天下をとる事に繋がったと記録されている。
 しかし、一方、歌を詠んでいたというのは在原の業平で、此れも史実とは異なり、業平の歌は私が詠んでいたという事なら納得が出来る。
 そのあたりの基経・女性・業平達の恨みを買い私が殺害されたという事になる。業平にしても頗る二枚目となっているが、伊勢物語の三千人の女性との関係というのは嘘であろう。
 そうで無ければ、私の方が業平より女性にモテたという事にならない。業平は大ぼら吹きだけに真面に恨みを抱くものはいなかったとなっているのだから、そう考えた方が素直だと言える。
 しかし、そうなれば、私は其のままこの世のものとして存在していない事になり、さすれば、綾乃との話も途絶える事になる。
 其処で、晴明が何時の世にも現れる事が出来た彼で無ければその謎は解けない。其処からは彼の話に頼るしかない。
 北が、その辺りから物語を其れにあわせるように創り出すつもりのようだ。かなり、立て込んだ歌舞伎もののような様相を呈してきた。
 此れが、江戸の太平の時代に実際に起きたいつの世にも人気がある「忠臣蔵」とは異なり、史実と物語が交差し何方が真実でと言えば史実は実はまがい物という事になる。
 北としては忠臣蔵並みの面白さを表現したいと思っているようだ。

 

 

 

 晴明が其処から話を続けた。
 先ず、基経が影武者の私を暗殺した。其れは、私を一時は愛していた女性の行為を利用した末の事。
 業平は此れに関しては直接は何も係わりが無い事になる。
 其れでは、どうして殺害された私が今日まで存在しているのかという事になる。
 其れについては晴明が説明をした。
 一旦は亡くなった私は、小町の懇願により晴明が蘇らせたという。女性は加害者故に其れは叶わぬが、私は女性というよりも其れを操った基経の計った通りになった事を鑑みて陰陽道の生命の復元を試みたと言う。
 晴明もカエルを潰すくらいの事は経験があったのだが、流石に人を殺す事は出来ないと思っていたらしい。
 其れが、増してや亡くなった人間を蘇らせるなどは難しい事と試そうとも思わなかったのだが、余りの小町の思いに試みる事にしたという。
 果たして、私は見事この世に生還したのだが、再び基経は影武者という事になり、その間、基経は企みで養父義房の力で無罪となった経緯があり、其れから最高の地位を築いたとなっているのは、実は澄夫が実力で権力を手にしたという事
 天皇を傀儡と嘲笑い、私を経略を持ち殺害した張本人である基経を、身代わりにして、死国に送る事になったという。
 其れで、その後基経に変わる実は澄夫が全ての権力を手にし正式な関白となった。晴明が言うには、澄夫を計りごとで落とそうとした罪と小町の祈りが天に通じたとの事。
 そうで無ければ晴明と雖も徒な生と死を産み出す事は出来なかったと言う。人間離れした陰陽道の達人だからできた事とは言え、決して道理を無視し天地をひっくり返す事よりは、容易かったと。
 私は晴明に感謝をする一方、願いの程が晴明をしてその力を発揮させる事となった小町・綾乃に只管感謝をすると共に、愛情の深さを改めて感じ、自らもだからこそ綾乃を千年も愛した。
 その場にいたのは、三人だけではなかった。北は、それらの話が正に自らが語ろうとする物語に値するものと盛んに顎髭を撫でつけるように、脳裏に浮かんできた実感を感じていたようだ。
 

 

 実は、小町のところに小野の少将が通い続けたという能の逸話は、真相は、実は小町が澄夫の為を思い、今でも二人の待ち合わせ場所である八坂神社の手前の西楼門は、女性に殺害された場所であるし、通い詰め神社に願を賭けたと言うところから人知れずの事実で、其れを知っていたのは晴明と綾乃だけだったという事になる。
 雪が降る日も暑さの中でもめげずに只管私の事を思い、一日も欠かさずに只管通い続けている美面が見えない、その背を何回も見ている内に晴明も、此れがあの世の中に名を轟かせた美女の成れの果ての姿かと、遂に極まる程に感じ入り願いを叶えてあげたくなったと呟いた。
 私は、晴明の神秘的な力に恐れにも近いものを感じると共に、其処までしてくれた綾乃に只管感謝をし、だから、夢を詠った歌が多いと言われた素晴らしい歌人だったのだと思う。
 北が、その辺りを心得ていてくれるように顎をしゃくる。
「こりゃ、随分、大胆な展開だが、正にいろいろな要素を含んでいて神秘性や悲しみ・・そうだな・・愛の深さをとでも・・いうところかな・・まあ・・」
 晴明は超人だが、物書きはどうなのかと思ったのだが、天賦の才の持ち主にしては遠慮がちに。
「・・小町さんを始め、香子(かおりこ、たかこ)~紫式部清少納言「諾子(なぎこ)」や他にも本名が違う歌人のように、歌を詠んだり物語を書くなどは・・私よりも・・」
 そうは言ったものの、彼も、十二天将を出現させる時にすらすらと書いては息を吹きかけるという才能は、言葉が違えば何事も起き得ないだろうと思えば、天賦・文才の持主である筈だが、只、天と地に言い聞かせる程の才能であるから・・。
 

 


 宙に浮かんだように立ち話をしていた一同は、綾乃の控えめな声で、我に返ると、夕食を鴨川べりでという事になる。
 晴明が歪ませた空間の向こうには鴨川に架かる四条大橋が見えた。北が、先程の話を思い出し、是非八坂神社の手前の西楼門から神社までを廻ってみたいというから四条通から花見通りを通り過ぎ祇園を西楼門まで向かい、北が辺りを見回すように空気を味わっている時に、数名の芸妓が軽く頭を下げながらちらほらと通り過ぎていく。
 一人が突然立ち止まると北の顔を見て摺りようように近付く。
「あら、北せんせどすなぁ。うちんせんせんファンで、此処にサインをしいや貰えまっしゃろか・・」
 北も、慣れたものではあるが、楼門の方に気を取られていたから、芸妓の姿に気付くと、すらすらとサインを・・。
 芸妓でも舞子とどちらが余裕があるのかは分からないが、稽古に明け暮れるだけでなく本も読むのだろう。
 暫くは其れを見つけた辺りの通行人の内からサインをという声が途切れそうもない。陽が鴨川の水の飛沫に輝きを与えると、次第に跳ねる様な赤色を祇園一体に振りまいてからすっと西に沈み、青い惑星を少しだけ回転させたように紫色の薄闇に後を譲ると、すっかり都の宵は出来上がっているようだ。そんな情緒に、北が、何か感じた様で、静かに頷いては物語に色を添える絵画のような風景を脳裏に刻み込んだようだ。
 彼方此方の街の灯りがぽつぽつとつき始める頃、一同は綾乃が導くように川べりの料亭に。女将が相変わらずの愛想良い挨拶を・・。
 何時もより幾分広めの個室に、車座を描くように思い思いに座ったまま、メニューを見たり綾乃の勧める京料理を注文する。
 間も無く襖が開くと机に料理や酒が並んでいく。北は、珍しく笑みを漏らすと、これこれと呟く。
 女将が重ねて置いた取り皿を綾乃が片端から手にすると、手際よく其々の前に料理を並べる。女将も高級料亭にはつき物の愛想を振りまきながら手助けをする。
 女将が退いてから、銘々が好きなものから箸をつけていく。二人の時よりやや広めの部屋には通常なら芸妓が揃ってもおかしくはないようだ。
 襖には平安時代のような古風なちょっとした絵が描かれている。空気のような晴明も一緒にお相伴をと全員が肩の荷を下ろした様に寛いで場を賑わす。
 私は思った。
「考えてみれば、皆、秀でた才能や美しさをひけらかす事は無いが、大したものだと・・」
 北に、筆の心つもりはどうでしょうかと尋ねれば、京料理に上機嫌に見える表情に秘めている才能が彼をして言霊を転がさせる。
「・・うん?そりゃ、先程の景色そのものが大方の絵になっていたから・・しかし、君・・今日は随分と稀少な語り部もおったし・・いやあ・・きっと、思い通りのものが・・」
 綾乃が一言断って膝を崩すと、私も北も、其の風情が感にいった様に、一息改めて呼吸をする。
 其れを、晴明が笑っている。
 上座には北のほかに晴明も。
 命の恩人であり、正に貴重な物語を産み出してくれた本人である。
 北が、
「ところで、君達二人が知り合った時の情景は・・?」
 と何気なく聞くから。
「薄暗い路地に、和服姿の女性が、少し大きめの和傘を持って立っている。
 私も、疲れてイライラしていたから、多少、ぶっきらぼうに、女性に声を掛けてみた。
「何処かこの辺りで、落ち着いて飲み食いできる店は無いですか?」
 女性は、傘越しに此方を振り返ると、微笑んだような表情でぼそっと言った。
「お困りのようどすなぁ。うちん知ってるところで良かったら案内させて貰えるけど・・」
 私は、京都の人に案内して貰えるならと期待して、
「そうですか。何処かありますか。助かります、お願いします」
 と、縋るように女性の顔を見ようとした。
 丁度傍らにある、京都らしい風情の建物の表の薄灯りで、女性の顔が浮き上がって見えた。
 小野小町の顔は謎だが、ひょっとしたらこんなでは無かったろうかと思った程、私は驚いた。
 実に、美しく、何か神秘的な感じのする、京女性の細面が、目の前に。
 私は、全身から今までの疲れが何時の間にか消えて行くのを感じた。
 雪はさほど振ってはいなかったし、私は傘を持って来るのを忘れていた。
 女性の後を少し間をおいて歩き出すと、女性は振り返って、
「一緒に入ったらどないどすか。寒いし、濡れるやろう」
 というと、傘を私の身体がおさまるようにと、私の小雪が積もっている肩越しに傾けた。
 と、声にならない気を送った。
 察しの良い北も晴明も、頷いては酒を組み交わしている。

 


 綾乃が其れが二人の再会だったと思い出し紅の口から・・。
「小町ちゅうおなごは、かな時からあんさんとん幸せをもっかい味わう事が出来やはった・・」
 綾乃は、笑みを浮かべながら品を作ると。
「秋の夜も名のみなりけり逢ふといへば 事そともなく明ぬるものを」
「秋の夜長、何て言うけど名前だけね。愛しいあなたと一緒にいればあっという間に朝になってしまうわ… 」 
(小町にしては唯一の恋の成就の歌と言われている。)
 
 

 
  
 鴨川の鳥が囀(さえず)るような流れの音、そして、水面の波に躍らせるように揺れながら映っている真ん丸な月は、遥かな都の時代から普遍の柔らかな光を漂わせてきたのだろう・・。
 芸妓が二人で歩いてくる後ろから、
「夢で申しますが、八坂神社の手前の西楼門で、朝、十時に。忘れいでね・・」。
 そんな可愛い声が・・皆の心に響いていた様でもあった・・。

 

 

 

 それでは・・即興演奏ライブから一曲を掲載します。

「piano・E,piano0620」

youtu.be