本日は数ある小説の中からシリーズもの一作と、音楽作品の方は「瞳」1 作品を掲載いたします。
何れも、著作権は当方に帰属しておりますので、コピーや転用はお断りいたします。 COPYRIGHT=著作権範囲内に限る。
「京 綾乃と 1」
年末年始、四日間京都に出掛けた。
特に、何処に行きたいとかいう宛があった訳では無い。
ただ、気になる事が・・、夢で美しい女性を見た。
それが、只の美女だとは思えない、不思議な糸に操られている様なおかしな気がした。
それだけなのだが、何とはなしに足は京都に向かっていた。
新横浜から新幹線に乗ろうとしたが、関が原が雪で、東京折り返しの電車が遅れている。おまけに、用も無い私を除いて、ホームに並んでいるのは、帰省客ばかり。
十五分位の遅れでひかりやのぞみが遅れながらも到着するのだが、駅員のアナウンスが無いから、自分の乗る電車がどれなのか分からない。
そんな事をしている内に、駅員に「どの電車ですか、私が乗る電車は?」と、尋ねたら、
「ああ、今、発車したあの電車ですよ」
との事。
私は駅員に、
「どうして、何番線に何号が来たというアナウンスをしなかったのか?」
と問い詰めたが、駅員は、一言、
「払い戻しは出来ませんからね」。
折角、一か月も前に指定席を取ってあったのに、仕方ないから適当に来たのぞみに乗った。
当然、満席だったが、デッキに二時間座って京都まで意外と早く感じた。
私は混みあっている車内を見ながら呟いた。
「着いたら、何か良い事でも有ってくれれば良いが」
昨晩の夢が気になった」
京都駅には三時頃着いた。
荷物(パソコンなどと衣服などが入った二つのバッグ。)が邪魔に感じたから、都ホテルのフロントに預けた後夕食でも取ろうかと思いホテルに向かったが。駅の周りの状況には詳しくないので迷ってしまった。
八条に在る筈のホテルに行くのにスマホのナビを参考にしていたのだが、何時の間にか九条辺りにある東寺まで来てしまっている。
おまけに、雪が降っているから寒いし疲れた。
やっと、ホテルにチェックインできたので手ぶらになり、「さあ、これから何か美味しいものでも」と思い駅の北側の繁華街にある飲食店、主に京都風の居酒屋などを中心に回ったが、店の数は幾らもあるものの何処に行っても玄関先で追い払われた。
12月30日だったから、忘年会などの団体で占拠されており満席なのだろう。仕方が無いから、地下鉄の切符を買い四条通り迄出掛けた。
しかし、此処にしようと納得する程の店は見つからない。此れは困ったと、木屋町辺りをウロウロしている時だった。
薄暗い路地に、和服姿の女性が少し大きめの和傘を持って立っている。
私も、疲れてイライラしていたから、多少ぶっきらぼうに女性に声を掛けてみた。
「何処かこの辺りで落ち着いて飲み食いできる店は無いですか?」
女性は、傘越しに此方を振り返ると、微笑んだような表情でぼそっと言った。
「お困りのようどすなぁ。うちん知ってるところで良かったら案内させて貰えるけど・・」
私は、京都の人に案内して貰えるならと期待し、
「そうですか。何処かありますか、助かります、お願いします」
と、縋るように女性の顔を見ようとした。
丁度傍らにある、京都らしい風情の建物の表の薄灯りで女性の顔が浮き上がって見えた。
小野小町の顔は謎だが、ひょっとしたらこんなでは無かったろうかと思った程、私は驚いた。
実に美しく、何か神秘的な感じのする京女性の細面が・・目の前に。
私は、全身から今までの疲れが何時の間にか消えて行くのを感じた。
雪はさほど降ってはいなかったしと、私は傘を持って来るのをすっかり忘れていた事に気が付いた。
女性の後を少し間をおいて歩き出すと、女性は振り返り、
「一緒に入ったらどないどすか。寒いし、濡れるやろう」
と言うと、傘を私の身体がおさまるようにと、私の小雪が積もっている肩越しに傾けた。
私は、両の手で肩の雪を払い和傘に納まる事にした。
「暮に小雪続きで、傘は手放せんで。旦那はん、もうちょい中に入らな」
私は、親切だなと思いながら、
「有難う、もう大丈夫。二人すっぽり入れますね」
と笑みを浮かべた。
先程、詳しくも無いくせに、勝手に小野小町などと想像してみたが、「小野小町の時代と現代とでは、かなり違っているに決まっている」と思いながら、何気なく女性の足元から頭まで目を遣る。
髪は短めに結ってあるようで、懸衣(かけぎぬ)は淡い黄色地に何の花か分からないが枝分かれした花の柄、控えめの赤の帯に、下駄を履いており、左手には薄い桃色の布袋を持っている。
やや下向き加減で歩く姿は如何にもというか、実は私は京女性については全く知識は無いが、私なりに京女性とはこんなものかなと思った。
一軒の、料理屋と思われる店の灯りが見えて来た。
その灯りに照らされた女性の顔がこちらを振り返ると、
「さあ、中に入りまひょ。寒いさかい、中は温かいどすえ」
と、傘の雪を振り落としてから、店の戸を開け私を先に内に入れた。
こじんまりとした和風の店の中には、古風なテーブルに添え職布で覆われた椅子が幾つか並んでいる。
私は、それを見ただけで、京都らしい風情とはこんなものかなど思う。
店員から、
「おいでやすおおきに」
と言われ、女性と並び椅子に腰を掛ける。
店員が目の前に置いてある品書きに片手を傾けながら、
「何宜しいどすか」
と聞く。
私は、自分でも分かるお晩菜を一つ二つ頼んだら、女性が、
「汲み上げ湯葉や京野菜に鳥肉が入った水炊きやらも美味しいおすえ」と教えてくれた。
それと、私の好きなビールを頼んだ。
店員が女性の顔を見ながら、
「外はまだ雪ですか?」
と、声を掛けた。
私は、女性の目を見ながら、
「私は、芥川澄夫と言います。失礼ですが貴女は?」
と聞くと、女性は私に、
「うちは、香月綾乃言う、宜しゅうお願いします」
と、言いながら軽く頭を下げる。
途端に、何とも言えない良い匂いが漂ってきた。
綾乃が、香水とはまた違う香りのする何かを・・付けているのかと思った。
少し間が開いてから、私が、
「特に宛も無く京都まで来たのですが、今日は夕食も食べられずと、困っていたところを助かりました。この辺りは表通りから少し外れていて、如何にも京都の路地という感じが味わえますね」。
私は、こんな寒い日は熱燗が似合うのだろうがと思いながらも、根からのビール党なので、洒落た薄めのグラスの中で小さな気泡を浮かべている琥珀色の液体を喉に流し飲む・・生き返ったような気がした。
綾乃にも、
「若し良かったら、乾杯しませんか?それとも、やはり熱燗の方がいいですか?」
と聞いてみたら、
「なら、お一つ戴く」
と、おちょぼち口に似合わぬように、一気に飲み干し、
「乾杯、美味しい」
と微笑んだ。
二人でお晩菜を摘まみながら、私は、綾乃の表情が気になって何気なく顔を窺うように尋ねた。
「此方のお店はよく来るんですか?」
綾乃は首を横に振ると、
「えらい前に・・来た事があるだけどす」
と言いながら私のグラスにビールを注いでくれる。
私は、其れなら偶然運良く・・というようなものだなと思った。
私は、芸妓の知り合いがいる訳でも無く良くは分からないが、綾乃は芸妓なのだろうかと考えたが、そんな派手さは窺えず清楚な感じがするからやはり違うのかなと思った。
無粋かと思ったが、
「偶然でもお会いできて助かりましたが、暮に何か用事があって、此方迄いらしたんですか?」
と尋ねてしまってから、綾乃の横顔が気になった。
綾乃は、笑みを浮かべ、
「どないどすか?お晩菜のお味は?」
と、聞いてから、
「何とのう八坂の塔を見とうなって来たんどす。何どすか自分でも此れちゅう用があった訳では無かってんが・・」
と言われてから、私は、折角勧めてくれたお晩菜の事も話さず失礼だったと気付き、
「この料理、皆、美味しいですよ。済みません、ぶっきらぼうに要らぬ事を聞いてしまって」
と付け足した。
実際、どの料理も世辞抜きで美味しいと思う。
料理にあわせビールのピッチが少し早くなったが、綾乃は、グラスが空になると酌をしてくれる。
綾乃は途中から燗酒に変えたから、私も、綾乃の猪口に酌をした。
私の気分が、二人で仲良くお晩菜を摘まみながらお酒を飲むという事を望んだからだ。
気のせいか、綾乃の頬がほんのりとピンク色になったような気がした。
元々は透き通るような色白で、と、私は呟く。
「これ程の美しさに色香が窺えるなんて・・」
綾乃は、そんな私の気持ちを知ってか知らずか、先程の私の言葉をなぞらえる様に、
「なんとはなしに人に会いに来た言うたらおかしいでっしゃろう?」
と言い微笑む。
私は綾乃の言っている意味が良く分からなかったが、不思議な事なのだろうか、そんな事、何かあるのかも知れないと思った。
私は、綾乃が会いに来る人とはどんな人だろうと思ったりもする。
綾乃が私に、
「京都は・・」
と呟くように言った。
どうして、中途半端な問いかけのようなのかと思いながら、次に、「何の御用事で来たのですか」と聞かれるのでは無いかと思い、何て答えようかなと考える。
しかし、答えは浮かばない。何の目的も無く、ただ足が向くから来たのだから。
まさか彼方此方の店に断られたお陰で、綾乃の様な京女に会えるとは夢にも思わなかった。
おかしな事に、綾乃が、私の事をお見通しであるかのような気がするのは何故かと思う。
綾乃が私の目を見、
「今晩は何処かお泊り先があるんどすか?」
と聞いた。
私は、旅行に来るのに宿泊先も決めないで来る人間なんていないのではと思ったから、どうしてそんな事を聞くのかなと思った。
私は、八条にホテルを取ってある旨、と宿泊日まで話したのだが。
綾乃はカレンダーも見ずに指を折り勘定をしている。
「30・31・1・2にはお帰りどすか?」
私は、何となくそう言った綾乃の表情が寂しげに思えたが、気のせいかなとも思う。
綾乃は私の目を見、
「若し、宜しかったら、私、案内しまひょか?」
私は、その言葉を聞いた時に心底驚いた。
酔いも回っており揶揄われたのかとも思う。
普通、大抵の人間はそう思うのが当然だろうに。
しかし、私はこれといって見たいものが有って来た訳では無いから予定も何も無いし、過去に殆どの寺社は見ているから、今回は何処を見て廻ろうかと遅まきながら考える。
私は、自分からそんな言葉が出るとは思っていなかったが、綾乃の目を見つめ、
「此れといって何処も行く所は無いんだが、貴女は暮から正月に向けていろいろ忙しいだろうからそんな事は無理でしょう?」
と、本心からそう言った。
最初に綾乃に会った時から、不思議な美女だなとは思っていたのだが、まさか、こんな事などあり得ないと思ったから、つい、そんな言い方になってしまった。
綾乃は唇を結ぶようにした後、
「こないな事言うて、おつむがおかしいか思われるやろうが、うちとあんたさんは、遥かな時代に・・お会いするちゅう約束があったんどす」。
私は、それを聞いた時に、最初は、そんな馬鹿な・・と思い眩暈がするような気がした後、何か訳の分からないというか、微かな記憶の様なものに自分が支配されている様な気がした。
「ひょっとしたら、古都には、そんな事が有ってもおかしくは無い・・」
とも思い始める。
私の頭を、一瞬「泉鏡花の荒野聖」という言葉が過った。私も、不思議な事だからとそんな風に思ったのかも知れない。しかし、すぐに、其れを消し去る。
関連性が無い事なのだから勝手に余計な事などと、何か恥ずかしさの様なものを覚えた。
増してや、例え、綾乃が私を騙したり、極端な冗談、或いは全くの嘘を言う理由などある訳は無い。
あるとすれば、本人が言っている様に、気が触れている、としか考えようが無いが、綾乃の瞳の奥からは、そうでない事を訴える強さが窺える。
それに、私自身、何が目的で古都に来たのかというものを、何も持ち合わせていないのだから。
次第に、私の頭の中では「この清楚で、澄んだ瞳をしている女性と・・」いつの日か分からないが、元から契りがあったのでは無いかという思いが、再び自分を支配していくのを感じる。
店での食事も終わる頃、私は綾乃に、
「分かった。で、明日はどうすればいいのだろう?」
と尋ねた。
綾乃は、頬に笑窪を付け足し如何にも人柄の良い優しそうな笑顔を浮かべ、
「八坂神社の手前の西楼門で待ってます。時間は十時位でもええどすか?」。
私はどうせ何も用は無いし、ホテルの朝食は九時には終わるから丁度いいと思い、
「それでいいよ。宜しくお願いします」
と、綾乃に笑顔を・・。
店を出ると、雪は殆ど振っていなかった。
二人で大通りまで出てから、綾乃は中腰で挨拶をし私は片手を挙げ別れた。
私は地下鉄に乗り、京都駅から歩いた。
歩きながら思う。
「古都に来て良かった。一人では無いし・・何よりも旧友に会ったような、気がする・・」
翌日、モーニングを食べ京都駅に向かって歩き、地下鉄に乗ると四条で降り、四条通りを祇園に向かって歩き門に向かった。約束の時間より15分程早く着いたが、綾乃は既に待っていてくれた。
残念ながら、この日も雪交じりの雨だった。鞄に折り畳み傘を入れて置いたのだが使う事は無かった。
私は、京都というと五重塔が好きだ、特に東寺が。
理由は分からない。綾乃の言葉の様に何か縁が有ったのかも知れないと思う。
東寺と言えば、平安時代なら都の外れ朱雀門の近くにあった筈だと覚えていた。
綾乃は八坂の塔を見ながら、
「何処がええどすか?言うても、何処も見たーる言うてましたなぁ。今日は晦日で夜から明日に掛けて詣での人で一杯になるさかい、今日神社を廻っとくるのん」。
私の希望を考慮して貰い、清明神社から廻って貰う事にした。
私は小説を書いているので、清明が十二天将を隠していたという一条戻り橋の下を覗いてみたが、当然ながら、それらしきものは何も無かった。
車は渋滞するからと、毎日、地下鉄と市営バスのフリー切符を買い、そのエリア内を回った。
次に北野天満宮に行く。北野天満宮、通称として天神さん・北野さんとも呼ばれるが、詣で客が多いらしい。
私も菅原道真の事は知っていたが、綾乃が更に説明を、
「かの菅原道真が左大臣藤原時平の讒言にあって左遷されてしまい、大宰府で亡くなった後、都では落雷などの災害が相次いだんどす。これが道真の祟りだとする噂が広まり、御霊信仰と結びつき恐れられたんどす。ほんで、没後20年目、朝廷は道真の左遷を撤回して官位を復し、正二位を贈ったんどす。現在地の北野の地にあった朝日寺の最鎮(最珍)らが、朝廷の命により道真を祀る社殿を造営し、朝日寺を神宮寺としました。後、一条天皇から「北野天満宮天神」の勅号が贈られました。正暦4年(993年)には正一位・右大臣・太政大臣が追贈された。以降も朝廷から厚い崇敬を受け、二十二社の一社となったんどす」
空いている昼間の内に回れる所を一緒に歩いた。
その後は、上鴨神社・下鴨神社・平安神宮と廻ったが、昼間はそんなに混んでなかった。
綾乃が其々の神社について、
「下鴨神社は賀茂御祖神社ちゅうのが正式名称で、上加茂神社、賀茂別雷神社ととともに賀茂氏の氏神を祀る神社であり、両社は賀茂神社(賀茂社)言われる。両社で催す賀茂祭(通称 葵祭)で有名おすえ」
と説明してくれる。
途中の茶屋で遅めの昼食を取る。
「平安神宮は広々しとって、平安京の大内裏の正庁である朝堂院(八省院)を縮小(長さ比で約8分の5)して復元したものどす。大きゅう赤う光る朱色の特徴的な正面の門は、朝堂院の應天門を模してるのやで。白虎楼を初め、6つの建物や平安神宮神苑の泰平閣があり、時代祭りも有名おすえ」
と説明を。
綾乃は、やはり詳しい。
「古から火災やらがあったけど、未だに、権威を示してるかのようなぁ」
私は歩きながら、「それでも、適度に人がいた方が淋しく無くていいかな」など思う。
八坂神社は、全国にある八坂神社や素戔嗚尊を祭神とする関連神社(約2,300社)の総本社であると言われる。通称、祇園さんとも。
しかし、綾乃は、何故か初詣客が多いと言われる伏見稲荷には行きたがらなかった。
初詣、今晩は人の山が出来るという。
綾乃が、特に一般の人と変わったところがあるとは思わなかったが、時々、大路や大内裏の館の名称を使う事が有った。また、歌人でもあったらしく、歌を詠んで見せたが、私には詳しい事は分からなかった。
当時は私も歌が詠めたのかもしれないが、現在は分からない。ひょっとしたら、綾乃は、紫式部・清少納言・小野小町などの何れかでは無かったのかと思ったりもする。
私は綾乃に、「私は、何という名前だったのかと聞いた」。
綾乃はそれに対し、「そら、御存じあらへん方宜しいか思うさかい、申し上げまへん」と笑った。
二人で歩きながら、綾乃は歌を詠み意味も教えてくれた。
私は、やはり古の人だったのかと改めて感心するばかりだ。
綾乃は地元の人間であるし、古くからいたようであるから、全て任せた。
昼見る綾乃は、夜とはまた違い、美しさを二度見せてくれた。
昼間、人が大勢いる中で見る綾乃は美しい上に上品で、私は、二人並んで歩くのが小恥ずかしくて仕方が無かった。
よく古の私は恥ずかしくなかったなと思う。
本当に二人は古からこんな風に逢瀬を繰り返していたのかと思った。
私は綾乃といるだけで古都を十分に満足できたのだが、茜色の空が斜めに傾いて来る頃綾乃に、
「今晩、夕食、君と楽しく戴きたいんだが、何処か心当たりはある?」
と聞いてみた。
綾乃は、
「今宵は、懐石でも行きまひょか」
など言いながら、祇園丸山方面に向う。
どんなに混んでいようと綾乃には関係無いようだ。
私も並んで歩くが、綾乃は細い路地に入って行く。
私は此れは高級な感じだと思いながら、路地の奥まで進む・・料亭があった。
古風な店内に、綺麗な器に品が窺える美味しそうな料理が出てくる。
暖簾を潜って個室に案内される。
私は、京都の懐石料理については全く分からないから、出されたものはどれも美味しく感じた。
蟹味噌豆腐 数の子 龍皮昆布 旨味出し松葉蟹・河豚などをお席で炭火で焼いたもの、最高級のとろける贅沢フィレ肉、その他(魚介類 海老 蟹 海老芋 鱧 肉類)
君と一緒に食べられるだけで美味しく感じない訳は無いと、私が、そう言ったら、
「そう思て下さるだけで十分どす。うちも嬉しいどす。こうしてあんたと一緒にお食事ができるなんて。明日もまだ一日あるけど・・」
と、淋しそうな顔をする。
私は、料理を味わいながらも、綾乃の横顔を見ながら、
「一生会えないかも知れないなんて、無いよ。そんな事があるのであれば私も悲しくなるから、言わないでくれ」
と言ったら、
「わたしかてそないな事信じとうあらへんけど、どないなるやら・・」
と言葉を濁した。
私が、住まいはと聞いたがはっきりは言わない。
嵯峨野辺りに住んでいるという事だけだ。
私は、本当は、古の都の事も尋ねたいと思ったのだが、綾乃は今、私に会う事を楽しんでいるような気がする。
次の日も、同じ場所で待ち合わせをした。何故かそこに因縁があるような気がする。
元旦は何処も人で一杯だろうと思い神社にはなるべく近付かないようにした。駅から近い三十三間堂を見る。
以前も何回か来ているが、兎に角仏像の多さにはびっくりする。
私が綾乃に、
「此れだけ多いと、どれも同じ様に感じてしまうし、全部見たら目が疲れるよ」
と言ったら、
「冬は足元も冷えるし、手前の仏像はんを見て行けばええんじゃ無いどすか。本尊千手観音・雷神・風神・帝釈天・毘沙門天 は、仏教における天部の仏神で、持国天、増長天、広目天と共に四天王と言われてもいます。阿修羅と言えば、奈良の興福寺の仏像はんも有名どすな。疲れんように、ゆっくりおみになって下さいね」
私は、言われたとおりに見て廻った。流石に裏側まで廻った時には疲れた。
次に、空いているからと言われ壬生寺を廻った。新選組の風情は漂ってこないが、何とはなしに開放的な感じで拝観料もいらない。
綾乃が境内を歩きながら、
「木屋町辺りでいろんな事が有ったんどすよ。でも、平安の都は、中心で無くなっていき、次第に東、あなたのいる江戸の方に移って行ったんどすね」。
私が、
「東京は良い所もあるが、やはり、古都の良さはまた格別なんだな」
というと、
「そうどすか。あたしは、東は知りませんから、でも、ええトコではおまへんどすか」
私がバス通りに出た所で、
「折角京都に来て詣でないのも詰まらないかな?でも、空いているところがあればいいけれどな」
と言ったら、綾乃が、
「御苑の中に小さな神社がおおすから、行ってみましょうか」
と、白雲神社に連れていってくれた。私が、
「小さくても小奇麗ないい神社だね、御利益がありそうだな」
と言えば、
「御利益、きっとありますよ」と綾乃が笑う。
二人は、渡月橋を眺めてから、茶屋で一休みした。
二人並んで腰かけ、「蕎麦でも食べる」と聞いたら、「お蕎麦ええどすな。頂きましょう」と、笑窪を見せる。お茶を戴き休んだところで、私が好きな仏像があるからと、「広隆寺に行ってみない」と誘ったら、綾乃は、「お好きな物が有って結構どすな。行ってみましょう」と弥勒さんを拝観する事になった。
私が「以前来た時に較べると薄暗くてよく見えないな。近くで見る事も出来ないし。まあ、保存の為だと思うけれど」
と少し不平を言ったら、綾乃は、
「薄暗くてもええものはええどすから、寧ろ、その方がええ場合もありますでしょう?よくおみになって下さいね」
とほほ笑んだ。
太秦天神川から地下鉄に乗って二条城前で降り、二人で暫く辺りを散歩する事にした。
古の、朱雀門の辺りから、応天門を右に見る形で、豊楽院から宴の松原辺りまで。
何となく、綾乃は、考え事をしている様に、ゆっくりと歩いた。
私は良く分からないが、今で言うと、千本通りを中心に、平安京朝堂院跡や平安宮内裏宣陽殿跡、建礼院跡などを通り過ぎ、再び地下鉄に乗る。
私が駅の階段を降りながら、
「今晩は、夕食は何処にする?元日で何処も休みでは?」
と聞くと、綾乃は笑みを浮かべ、
「大丈夫どすよ。あたしの知っとるお店が鴨川のねぎに有りますから」
と、鴨川沿いに向かった。
夕陽が潤んで、街のビルのガラスに傾くように反射しながら移動していく。
街は、すでに青い影の中にすっぽりと飲み込まれてい、次第に濃い紫色に変わると、いつの間にか街灯やネオンが灯り街は夜の顔を覗かせている。
綾乃と並んで、高級そうな店に入った。
暖簾を潜ると、今まで賑やかな通りの喧騒は何処かに行ってしまって、二人だけの個室が待っていた。
綾乃が品書きを見るまでも無く、
「懐石でもしゃぶでも、適当に見繕いますから、御口に会いますかどうか」
とまた、笑窪を笑顔に付け足す。
私は、喧騒から遠のいて行く自分を感じると共に、本当なのかなと、綾乃の着物姿を頭から足元まで確認せざるを得なかった。
今日は、酒で通す事にした。やはり、その方が料理に合いそうだったから。
目の前に並んだお晩菜や鍋や小鉢などを箸で頂きながら、綾乃の目を見る。
どれもこれも美味しい、楽しい。
小一時間も経った頃、綾乃が私の顔の表情を窺うように、
「今晩は、あたしの所に泊まっていって下さい。荒れ果てていますが、宜しかったらで結構どすが」
私は、ホテルに未練がある訳では無いからチェックアウトを依頼した。支払いは済んでいるが荷物があるから、この後とりに行く事にした。
幸い、店とホテルは地下鉄で近かったから、綾乃には店で待っていて貰い急いで帰って来れた。不思議な事に、来る時にはあれ程迷ったホテルがこんなに近いとは思わなかった。
息も切らせずに帰って来られた私は、綾乃に、
「私と貴女はどういう関係だったのか」
と聞いて見たくなった。
綾乃は、以前と同様に、
「あんたはなんも御存じ無い方がええどすから、でも、あたしとは縁から結ばれとる。そやし、ちびっとだけお話をしますね」
と言い、料理が並んでいるテーブルに字を書くようにしながら話し出した。
「あなたは、歌を通じて付き合っとる女性がおりました。とっても仲が良かったさかいすが。トコが、同じ様にあたしとも、歌を通じて会う様になり、あたしとあなたは愛し合うようになったさかいす。凡ての名は申せません。あたしとの関係に気付いた彼女は、あたしを憎みました。結局、彼女は、あんたを殺めてしもたさかいす。ほんで、自らもこの世の哀れを感じ亡くなってしまいました。残酷な話やので、あんたには聞かせたくなかったし、御自分でも命まで失ったのに、何故、今、こうして生きとるのかと不思議に思われるのは当たり前どす。
でも、神様は、こうしてあたし達二人が出会う事をお許しになったさかいす。
お覚えへんでしょうが、あんたは歌が上手かった、それも、悲劇の一つの原因となったのかも知れませんが、人の愛情などというものは、むちゃ簡単に理解でけるものではおまへん」
私には、綾乃の目が嘘では無い事を語っていると分かる。だから、それ以上は深く聞こうとは思わなかった。
話の女性にしても、綾乃や私にしても、一体誰だったのかはわからずじまいだ。
ただ、八坂神社の手前の西楼門を待ち合わせの場所にするのは、そこで、二人に関係する何か大変な事が起きたのではという気がする、間違い無いだろう。
一体、そこで、何が起きたのか、今更、分かる訳も無いが。
ただ、私が綾乃を今も愛している事は間違い無い。私と付き合っていた女性も哀れで仕方が無いが、おそらく、その女性よりも綾乃の方が好きだったから、悲劇になってしまったが、今も、こうして時を越え、出会いを重ねているという事は、私が綾乃を愛しているという事実に相違無い。
綾乃は、名は明かさなかったが、幾つかの歌を詠んでくれた。
私は、歌を聞いている内に、誰の歌か気になった。
綾乃は、何故か、
「それは・・私が知りませぬどなたかの歌・・」
「うたた寝に恋しき人を見てしより夢てふものは頼みそめてき」
私は、歌については分からない。
綾乃は説明をしてくれた。
『あの人のことを思いながら寝たので、現実に逢っているように見えたに違いありません。それが夢とわかっていたら醒めないでいましょうものを。』
更に、もう一つだけ、実際には、数多くの歌が飛び交った事だろうが。
「限りなき思ひのまゝに夜も来む夢路をさへに人はとがめじ」
『際限なく続く恋の思いにまかせて、うたた寝の夢の中だけでなく夜の夢でも私の方からこちらへ来ましょう。夢の中の道でまで邪魔だてして人が咎めるということはないでしょう』
綾乃は、私の顔を見ると、
「こら、彼女の歌ではおまへんが・・。ただ、おなぐちいうものは、同じように思う心を歌うものどすから、別の方の同じ気持ちを歌ったものどす」
「言の葉はつゆ掛くべくもなかりしを風に枝折ると花を聞くかな」
『あだっぽい言葉を交わすなど、まったく思いも寄りませんでしたのに、今あなたが、女たちを残らずなびかせていると、まあ、花やかな噂を耳にしましたよ。』
綾乃と私は、四条から地下鉄に乗った。
ところが、私の記憶はそれから先の事は、夢の様に途切れてしまっていた。
綾乃は嵯峨野の自分の館を目指している。
地下鉄を烏丸御池で乗り換え嵯峨野方面に向かったまでは何とか記憶に残っている。
綾乃の館というか庵というか?如何にもその時代らしいものだった。
竹林の中に、忽然と現れた。
嵯峨野というのは、綾乃の和服姿と相性が良いようだ。
その姿が、余計に美しさを際立たさせる。
この辺りの空には、宝石箱から飛び出た様な、星が散りばめられている。
流れ星が、幾つも筋を描いて落ちてくる。
私は、こういう経験は無いので戸惑ったが、靴を脱いで畳に上がると、蚊帳の様な帳が張られた中に寝所があった。
帳を持ち上げ中に入ると、どちらとも無く添い寝をした。
月の薄灯りの中で見える綾乃の肌は、白いと表現できない程透き通っていた。
丸い形をした小窓から鹿威しの音が聞こえていた。
私は言葉に出せない程、綾乃の事を愛している自分に気付くと同時に、綾乃は私の耳元で囁く。二人が同じ囁きを繰り返すと、紫の空気が溜息をつくように揺れた。
京都駅まで綾乃は送ってくれた。何事も無かったように、笑窪の微笑みを静かに投げかけてくれた。
私は、電車のデッキから、
「若し来月雪が降ったら、或いは夢に現れたら、必ず、また来るから。待っていてくれ。忘れないでくれ」
と、此れ以上作りようも無い、真剣な顔を・・。
綾乃は、
「夢で申しますが、。八坂神社の手前の西楼門で、朝、十時に。忘れいでね・・」
私は、忘れるもんか、一度死んだ身だから、例え死霊に取りつかれたとしても、何も怖いものは無いと思った。
私が、何も考えないのに、思わず、「名にしおはばいざ言問はむ都鳥我が思う人はあり・・・」『その名を持っているならば、さあ尋ねよう。都鳥よ、私の思うあの人は無事でいる・・』。
電車は、何事も無かったように、ホームを離れて行く。
バッグの中から、資料を出してみた。
昨晩、綾乃が話した歌は、小野小町と清少納言の有名な歌だ。
しかし、その二人が生きていた時代は異なる。
そして、誰とは言わずとも同じような事情が有れば、似た気持ちを歌うのではないかと思った。
いにしえの事は一切分からない、どんな事情が有ったかなど。
綾乃が誰だろうと私が誰だろうと大した事では無い・・。
私は確信している、雪の日、或いは、夢に現れた綾乃に会いに、また、八坂神社の手前の西楼門に来る事を、綾乃に会う事だけを思って・・。
電車は加速して行く。別れを誘う様に、しかし、私は、「もう、本当の別れはやって来ないだろう」と・・。
では、音楽作品を、先ず一作のみ掲載する。
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「テスト 瞳 民謡」
https://youtu.be/424qL1bIHR0?si=aSqJMIdbixyqxlDT
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